航路の変遷
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宇和島港をとりまく地域はリアス式海岸が続き、半島や離島が多く、道路や鉄道の整備が遅れたこともあって、浦々を結ぶ旅客船航路は地域住民の交通手段として、なくてはならないものであった。このため、古くから宇和島港と南予地域の各港・浦とを結ぶ航路が開設されていた。 宇和島から阪神や九州各地を結ぶ航路は明治以前から開設されていたが、個人経営の船問屋や回漕業者によるものが主であった。1884年(明治17年)5月、60余りの船主が集まり大阪商船を設立したが、運賃や荷扱い等に地元の不満がくすぶり、およそ半年後の1884年(明治17年)12月には地元経済人有志により宇和島運輸会社が設立された。1885年(明治18年)5月には第1船「第1宇和島丸」が就航し、両社は誘客(誘貨)を競った時期もあったが、1906年(明治39年)に協定を締結した。 当時は瀬戸内海の各港へ寄航しつつの航海であり、宇和島港から大阪港まで3日、1往復に8日を要した。それでも帆船による頃と比べると、所要時間の短縮は画期的といえるものであった。 明治半ば頃、宇和島は周辺の町や村の物資の集散地となっており、各地からは船舶を利用して宇和島に商品作物等を送り、帰り荷に日用品等を積むというパターンであった。これらは自己所有の小型船舶によっており、不便をかこっていた。やがて南宇和郡の一帯で、宇和島と結ぶ沿岸航路開設の気運が高まり、日清戦争後に御荘の平城の有志によって船会社が設立され、御荘丸が投入され、後に第二船も投入されるなど、大いに利用された。 その後、明治40年代に入ると、同様に宇和島近辺でも沿岸航路が必要との認識が高まり、宇和島運輸により宇和島-吉田の航路の運航が開始された。これに続き、また海運業の隆盛を背景に新造船や中古船舶の買取りによる船会社の設立がみられ、八幡浜-遊子-下灘の運航や、御荘、奥南(吉田町)、俵津、狩江、高山(以上明浜町)、三浦の各村において運航が始まっている。 1933年(昭和8年)には盛運社(後の盛運汽船)が設立され、尾道・下灘・北灘・蒋淵(こもぶち)・下波(したば)・玉津・内海などの航路が開かれた。 ただ、当時、船会社は乱立気味であり、日本の対外戦争による経済混乱や戦時下の統制、船舶の徴用を経て、終戦を迎えた。日本は戦争で大半の船舶を失ったが、当地域においても同様であった。その後の経済復興・発展により船会社も再起を果たすことが出来た。 ただ、その後、海上交通に依存していた当地域においても陸上交通網が次第に整備が進み、離島や一部半島地域を除いて沿岸航路は活躍の場を狭められることとなった。期待された九州とのカーフェリー航路についても、八幡浜港等の港間の競争が激しく、現在では宇和島港と九州とを結ぶ定期航路は残存していない。また、南予レクリエーション都市開発によるレジャー関係の船舶の基地となることも期待されたが、石油危機等の経済の荒波を受けて同計画が中途半端なものに終わり、期待されたレジャー需要は誘発されていない。
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航路の変遷
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「四国中央フェリーボート」の記事における「航路の変遷」の解説
1970年(昭和45年)3月8日 〜 1975年(昭和50年)10月3日 川之江港 - 神戸港(東神戸フェリーセンター) 1975年(昭和50年)10月4日 〜 1988年(昭和63年)4月7日 新居浜港(本港)- 川之江港 - 神戸港(東神戸フェリーセンター) 川之江港 → 新居浜港(本港)→ 神戸港(東神戸フェリーセンター) ※下り第1便は川之江→新居浜間は上り第2便も兼ねており、新居浜出航後はそのまま神戸へ向かっていた。 1988年(昭和63年)4月8日 〜 1988年(昭和63年)11月27日 新居浜港(新居浜東港)- 川之江港 - 神戸港(東神戸フェリーセンター) 1988年(昭和63年)11月28日 〜 1994年(平成6年)9月30日 新居浜港(新居浜東港)- 川之江港 - 神戸港(東神戸フェリーセンター)- 大阪港(大阪南港) ※神戸始発終着の便、もしくは神戸寄港しない便もあり。 1994年(平成6年)10月1日 〜 1995年(平成7年)1月17日 新居浜港(新居浜東港)- 川之江港 - 神戸港(東神戸フェリーセンター) 1995年(平成7年)1月24日 〜 1995年(平成7年)3月19日 新居浜港(新居浜東港)- 川之江港 - 大阪港(大阪南港)※阪神・淡路大震災による代替措置。 1995年(平成7年)3月20日 〜 1998年(平成10年)4月5日 新居浜港(新居浜東港)- 川之江港 - 神戸港(東神戸フェリーセンター)
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