背景および対戦した勢力とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 背景および対戦した勢力の意味・解説 

背景および対戦した勢力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/04 10:25 UTC 版)

第二次ブルランの戦い」の記事における「背景および対戦した勢力」の解説

北軍中心となった指揮官 少将ジョン・ポープ北軍 少将アービン・マクドウェル北軍 少将フランツ・シーゲル北軍 1862年6月七日間の戦いジョージ・マクレラン少将半島方面作戦瓦解した後でエイブラハム・リンカーン大統領新しく結成したバージニア軍指揮官ジョン・ポープ指名したポープ西部戦線幾らか成功収めており、リンカーンマクレランよりもより攻撃姿勢のある将軍求めた北軍バージニア軍総勢51,000名で3軍団分かれたフランツ・シーゲル少将第1軍団(後のポトマック軍第11軍団)、ナサニエル・バンクス少将第2軍団(後のポトマック軍第12軍団)、および第一次ブルランの戦い敗北したときの指揮官アービン・マクドウェル少将第3軍団(元ポトマック軍第1軍団、後にポトマック軍復帰)だった。マクレランポトマック軍から3個軍団第3軍団第5軍団および第6軍団)の一部と、アンブローズ・バーンサイド少将第9軍団ジェシー・リー・リノ少将指揮)がこの戦闘参戦し結果的に総勢77,000となった南軍中心となった指揮官 将軍ロバート・E・リー南軍 少将ジェイムズ・ロングストリート南軍 少将ストーンウォール・ジャクソン南軍 南軍の方では、ロバート・E・リー将軍北バージニア軍総勢55,000名を2つの「翼」あるいは「指揮」に分けられた。「右翼」はジェイムズ・ロングストリート少将が、「左翼」はストーンウォール・ジャクソン少将指揮したJ・E・B・スチュアート少将指揮下の騎兵師団ジャクソンの翼に付けられた。 ポープ任務幾つかの目的を果たすことだった。ワシントンシェナンドー渓谷守り、ゴードンスビルの方向動いてマクレラン軍から南軍引き離す事だった。七日間の戦いマクレラン軍と対戦したリー経験に基づけば、マクレランはもはやバージニア半島にあって脅威ではないと認識し自軍全軍リッチモンド守り就けておく理由は無いと感じていた。このことで、ジャクソン軍をゴードンスビルに配置してポープ軍を堰き止めバージニア中央鉄道守らせることができた。 リー胸の内大きな作戦描いていた。北軍マクレラン軍とポープ軍とに分かれており、その位置大きく隔たっているので、マクレラン軍に注意を戻す前にポープ軍を叩き潰す機会だと捉えたA・P・ヒル少将12,000名の部隊をつけて、ジャクソン軍に合流させた。8月3日北軍総司令官ヘンリー・ハレックマクレラン半島からの撤退完了させ、ポープ軍を支援するために北バージニアに戻るよう指示したマクレラン抗議し8月14日まで部隊の移動始めなかった。 8月9日ナサニエル・バンクス軍団シーダー山の戦いジャクソン軍を攻撃し初め調子良かったが、A・P・ヒル率いられ南軍反撃してバンクス軍をシーダー・クリークの背後まで後退させた。しかし、ジャクソン軍の前進北軍ジェイムズ・B・リケッツ准将師団によって遮られた。この時までにジャクソンポーク各軍団が集結しており、個別撃破しようという作戦難しくしたことを知ったジャクソン8月12日までその陣地留まりその後ゴードンスビルまで後退した8月13日リーロングストリート軍をジャクソン補強派遣した8月22日から25日まで、両軍ラッパハノック川沿い小さな戦闘繰り返した激しい雨で川脹れ上がりリー自軍に川を越させることができなかった。この時までに半島からポトマック軍からの増援到着しつつあった。リー北軍がこれらの追加軍を得て南軍勢力的上回った事態直面し、その新し作戦ジャクソンスチュアート全軍半分兵力付けてポープ通信線であるオレンジ・アンド・アレクサンドリア鉄道切断するために回り込み行わせることだった。ポープ軍は撤退強いられ動いて脆弱になった時に打ち破られるはずだった。ジャクソン8月25日出発しその夜セイラム(現在ではマーシャル)に到着した8月26日夕刻ジャクソンの翼はサラフェアギャップを経由してポープ軍の右翼回り込んだ後でブリストーでオレンジ・アレクサンドリア鉄道攻撃し8月27日夜明け前マナサス鉄道結節点にあった北軍大規模補給庫を占領し破壊した。この急襲で、ポープラッパハノック川沿い防御的戦列から急速な後退強いられた8月27日から28日掛けての夜の間、ジャクソンはその各師団を北にある第一次ブルランの戦場まで行軍させ、ストーニー・リッジ下にある未完成鉄道路盤背後に陣を構えた。この防御陣は良いものであった深い森南軍部隊隠し、南に数百ヤードに過ぎない北軍行軍路と想定されるウォーレントン・ターンパイクは良く見通すことができた。ロングストリート軍がジャクソン軍に加わるとしても良い進入路があり、このことはもし時間通り援軍得られない場合でも、ブルラン山に向かってジャクソン軍が後退することも可能にしていた。また未完成鉄道路盤凸凹があって、誂え塹壕役目果たせた。 8月28日のサラフェアギャップの戦いでは、ロングストリートの翼が北軍わずかな抵抗突破し渓谷通ってジャクソン軍に合流した。この一見些細に見え行動で、リー軍の2つの翼がマナサス戦場合流できたので、来るべき戦いでポープ軍が敗れることを事実上確実にした。

※この「背景および対戦した勢力」の解説は、「第二次ブルランの戦い」の解説の一部です。
「背景および対戦した勢力」を含む「第二次ブルランの戦い」の記事については、「第二次ブルランの戦い」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「背景および対戦した勢力」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「背景および対戦した勢力」の関連用語

背景および対戦した勢力のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



背景および対戦した勢力のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの第二次ブルランの戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS