背景: 1980年代の暗黒時代
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「ディズニー・ルネサンス」の記事における「背景: 1980年代の暗黒時代」の解説
ウォルト・ディズニー(1966年没)とロイ・O・ディズニー(1971年没)の死後、ウォルト・ディズニー・スタジオの経営はドン・B・テータム、E・カードン・ウォーカー、ロナルド・W・ミラーらの手に委ねられていたものの、第1次黄金期を支えていたナイン・オールドメンの相次ぐ引退などの影響もあり、かつてほどの好成績をあげることができずにいた。特に『きつねと猟犬』の製作中に、長きに渡ってアニメーターを務めたドン・ブルースが11人のアニメーターを連れてディズニーを去り、彼自身のスタジオ(「ドン・ブルース・プロダクションズ」)を設立したことはディズニーに強い衝撃を与えた。多くのアニメーターが去ったことで『きつねと猟犬』の制作が遅れる一方で、ドン・ブルース・プロダクションズは1982年に『ニムの秘密』を制作。『きつねと猟犬』自体は結果的に最後のナイン・オールドメン参加作品となったことで成功を収めたものの、ブルースの会社は後にアニメーション産業の中でディズニーの主な競争相手となった。 その後、投資家ソール・スタインバーグによる実質的な「乗っ取り」からかろうじて逃れたディズニーは大きな組織変革を行った。1984年にパラマウント映画のマイケル・アイズナーがCEOに就任し、元同僚であるジェフリー・カッツェンバーグも参加、ワーナー・ブラザースのフランク・ウェルズが社長に就任した。1985年には実写映画制作部門拡大のために、アニメーション部門はバーバンクにあるディズニーのメインスタジオから東に3.2kmほど離れたグレンデールの格納庫、倉庫、トレーラーなどで構成された簡易拠点に移転。そして、『コルドロン』(1985)が興行的に失敗すると、苦肉の策として、30年に渡るスタジオのポリシーに反し劇場アニメよりも大幅に制作費を抑えることのできるテレビアニメーション部門を設立(詳細後述)。こうしてアニメーション部門はさらなる危機にさらされることとなった。1986年、ブルースが『アメリカ物語』を公開した傍らディズニーは『オリビアちゃんの大冒険』を公開。成績自体は悪くはなかったものの初公開で高い興行収入を記録した『アメリカ物語』には及ばず、「暗黒時代」ともいうべき低迷期を抜け出すことは容易ではなかった。 そんな中で1988年、ブルースの下で『アメリカ物語』と『リトルフット』の演出家を務めたスティーヴン・スピルバーグと共に、実写とアニメを組み合わせた『ロジャー・ラビット』を制作。この映画は批評的にも商業的にも成功を収め、技術的功績として3つのアカデミー賞を受賞。ディズニー劇場アニメーションに対する世間の関心を取り戻す足掛かりとなった。この後、スピルバーグはロジャー・ラビットの短編映画3つの製作に協力した。
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