聖書での記述
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「メロダク・バルアダン2世」の記事における「聖書での記述」の解説
そのころ、バラダンの子であるバビロンの王メロダクバラダンは、手紙と贈り物を持たせて使節をヒゼキヤにつかわした。これはヒゼキヤが病んでいることを聞いたからである。 ヒゼキヤは彼らを喜び迎えて、宝物の蔵、金銀、香料、貴重な油および武器倉、ならびにその倉庫にあるすべての物を彼らに見せた。家にある物も、国にある物も、ヒゼキヤが彼らに見せない物は一つもなかった。 その時、預言者イザヤはヒゼキヤ王のもとにきて言った、「あの人々は何を言いましたか。どこからきたのですか」。ヒゼキヤは言った、「彼らは遠い国から、バビロンからきたのです」。 イザヤは言った、「彼らはあなたの家で何を見ましたか」。ヒゼキヤは答えて言った、「わたしの家にある物を皆見ました。わたしの倉庫のうちには、わたしが彼らに見せない物は一つもありません」。 そこでイザヤはヒゼキヤに言った、「主の言葉を聞きなさい、『主は言われる、見よ、すべてあなたの家にある物、および、あなたの先祖たちが今日までに積みたくわえた物の、バビロンに運び去られる日が来る。何も残るものはないであろう。また、あなたの身から出るあなたの子たちも連れ去られ、バビロンの王の宮殿で宦官となるであろう』」。 ヒゼキヤはイザヤに言った、「あなたが言われた主の言葉は結構です」。彼は「せめて自分が世にあるあいだ、平和と安全があれば良いことではなかろうか」と思ったからである。(口語訳聖書:列王記下20章12-19節)
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聖書での記述
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詳細は「en:Exorcism of the Gerasene demoniac」を参照 レギオンに関する記述で最も古いものは、『マルコによる福音書』におけるゲラサの国での出来事の記載である。イエスは悪霊に憑依された男に出会った。その男は墓場に住み、裸で歩き回って昼も夜も大声で叫びながら自分の体を石で切りつけ、鎖や足かせも引きちぎるほどの力を持っていた。イエスはその名前を知るために悪霊を呼び出した。これは悪霊祓いの重要な要素である。イエスは、この男に多数の悪霊が憑依していることを知った。その悪霊は自分たちのことを「レギオン」と名乗り、それは自分たちが大勢であるためだと述べた。レギオンは、イエスが自分たちをこの世から地獄に追放することを恐れ、その代わりに豚の群れの中に送り込むようにイエスに懇願した。イエスがそのようにすると、レギオンは二千頭ほどの豚の群れに取りつき、豚は突進して断崖から落ち、溺れ死んでしまった(Mark 5:1–5:13)。 この話は、他の2つの共観福音書にも記されている。『ルカによる福音書』では、記述は縮められているが、登場する名前を含めて同じ話になっている(Luke 8:26–8:33)。『マタイによる福音書』では、ルカ福音書よりさらに短くなり、憑依される男が2人になり、場所もガダラ(英語版)の国に変更されている。これは、ゲラサが海から遠く離れていることに、マタイ福音書の作者が気づいたためと考えられる(ただし、ガダラでも海から10キロメートル程度離れている)。マタイ福音書では、悪霊の名前は記されていない (Matthew 8:28–8:32)。
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聖書での記述
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キリスト教の聖書には、『新約聖書』の四福音書のうち三福音書に、それぞれ多少違った形で載っている。 「マタイによる福音書」21章 の一部は 6節 弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、7 ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。8 群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。 — (口語訳聖書 マタイ 21:6-8) 「マルコによる福音書」11章の一部は 7節 そこで、弟子たちは、そのろばの子をイエスのところに引いてきて、自分たちの上着をそれに投げかけると、イエスはその上にお乗りになった。8 すると多くの人々は自分たちの上着を道に敷き、また他の人々は葉のついた枝を野原から切ってきて敷いた。 — (口語訳聖書 マルコ 11:7-8) 「ヨハネによる福音書」12章の一部は 12節 その翌日、祭にきていた大ぜいの群衆は、イエスがエルサレムにこられると聞いて、13 しゅろの枝を手にとり、迎えに出て行った。そして叫んだ、「ホサナ、主の御名によってきたる者に祝福あれ、イスラエルの王に」。14 イエスは、ろばの子を見つけて、その上に乗られた。それは 15 「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、あなたの王がろばの子に乗っておいでになる」と書いてあるとおりであった。 — (口語訳聖書 ヨハネ 12:12-15) 要約すると、イエスは前夜ゲッセマニの園で祈ったりなどした後に、この日は聖地エルサレムを囲む城壁にいくつかある門に達して、弟子たちが近くで調達した小ロバに乗って、弟子たちを含む大勢が服を脱いで地面に敷き、あるいは植物の枝を敷いた地面を踏んで、城内へ入城した。
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聖書での記述
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「メギドの戦い (紀元前609年)」の記事における「聖書での記述」の解説
基本的な物語は列王記下の第23章29節から30節で語られる。 ヨシヤの世にエジプトの王パロ・ネコが、アッスリヤの王のところへ行こうと、ユフラテ川をさして上ってきたので、ヨシヤ王は彼を迎え撃とうと出て行ったが、パロ・ネコは彼を見るや、メギドにおいて彼を殺した。その家来たちは彼の死体を車に載せ、メギドからエルサレムに運んで彼の墓に葬った。国の民はヨシヤの子エホアハズを立て、彼に油を注ぎ、王として父に代らせた。 —日本聖書協会、『聖書 口語』(1955年) 歴代誌下の第35章20節から27節にはより長い記述がある。 このようにヨシヤが宮を整えた後、エジプトの王ネコはユフラテ川のほとりにあるカルケミシで戦うために上ってきたので、ヨシヤはこれを防ごうと出て行った。しかしネコは彼に使者をつかわして言った、「ユダの王よ、われわれはお互に何のあずかるところがありますか。わたしはきょう、あなたを攻めようとして来たのではありません。わたしの敵の家を攻めようとして来たのです。神がわたしに命じて急がせています。わたしと共におられる神に逆らうことをやめなさい。そうしないと、神はあなたを滅ぼされるでしょう」。しかしヨシヤは引き返すことを好まず、かえって彼と戦うために、姿を変え、神の口から出たネコの言葉を聞きいれず、行ってメギドの谷で戦ったが、射手の者どもがヨシヤを射あてたので、王はその家来たちに、「わたしを助け出せ。わたしはひどく傷ついた」と言った。そこで家来たちは彼を車から助け出し、王のもっていた第二の車に乗せてエルサレムにつれて行ったが、ついに死んだので、その先祖の墓にこれを葬った。そしてユダとエルサレムは皆ヨシヤのために悲しんだ。時にエレミヤはヨシヤのために哀歌を作った。歌うたう男、歌うたう女は今日に至るまで、その哀歌のうちにヨシヤのことを述べ、イスラエルのうちにこれを例とした。これは哀歌のうちにしるされている。ヨシヤのその他の行為、主の律法にしるされた所に従って行った徳行、およびその始終の行いなどは、イスラエルとユダの列王の書にしるされている。 —日本聖書協会、『聖書 口語』(1955年)
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