聖書とクルアーンの記述の食い違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 22:32 UTC 版)
「クルアーン」の記事における「聖書とクルアーンの記述の食い違い」の解説
詳細は「聖書の説話とクルアーンの関係」を参照 ユダヤ教徒とムスリムとの関係が悪化した原因として、ユダヤ人がイスラムに改宗せず、それどころかムハンマドを嘲笑したことが歴史で語られる。これは、ムハンマドが無謬の預言者であるにもかかわらず、その預言の内容がユダヤ教徒たちの奉ずる旧約聖書と食い違っていたからである。 以下はその実例である。 3つの時代と場所が混ざり合う 「これ長老たち、このわし(=エジプト王ファラオ)のほかにはお前たちの神はないはず。さ、ハーマーン(=ハマン)、泥に火をつけてくれい。わしに高殿(=バベルの塔)を造ってくれい。ムーサー(=モーセ)の神のところまで昇って見せるわ。どう考えてもあれは嘘つきにきまっておる」―クルアーン28:38 ここでは「バベルの塔」「モーセ」「ハマン」が同じ場面でクルアーンの中では登場する。しかし旧約聖書では、それぞれの時代と場所は大きく異なる。「バベルの塔」は紀元前2100年頃のメソポタミアのことで、旧約聖書の「創世記」に出てくる。「モーセ」(英語表記ではモーゼスと言う)は紀元前1240年頃にエジプトで生まれた。彼がイスラエルの民を約束の地カナン(現在のパレスチナ)に連れて行くことが旧約聖書の「出エジプト記」に書かれている。そして「ハマン」はペルシアの王に仕えていた、紀元前485 - 465年頃の人物である。旧約聖書の「エステル記」は、ハマンによるユダヤ人滅亡計画から民族を救った人物、すなわちペルシア王妃であったエステルと、彼女の養父であったモルデカイの話である。 ユダヤ人にとって、「モーセ」と「ハマン」の時代を混ぜこぜにすることはありえない。モーセの出エジプトを記念した宗教行事が、ユダヤ最大の祭りである「過越しの祭り」である。またハマンの圧政から救われたことを記念する祭りが「プリム」である。いずれも現在も続く重要な祭りである。 その時代にない名称が登場する 「汝(=モーセ)の去った後、我ら(=アッラー)が汝の民を試練にかけた。例のサマリア人がみなを邪道に迷いこませた」―クルアーン20:87(85) クルアーンでは、モーセの死の直後(紀元前2100年頃)すでに「サマリア人」の名称が登場している。クルアーンによれば、モーセの民を不信仰に陥らせ、偶像崇拝の罪を犯させた犯人が「サマリア人」である。だがこれは、年代的に矛盾している。なぜなら、紀元前721年に北イスラエルがアッシリアに滅ぼされたあと、アッシリアからの移民と現地のユダヤ人との間に生まれた人々が「サマリア人」と呼ばれるようになったからである。 人物が入れ替わる 「タールート(=サウル)が軍勢をひきつれて出で立つ時、彼は言った。『いいか、アッラーはお前たちを川でもっておためしになるぞ。その水を飲む者はわしの兵ではない。その水を味わおうとしない者はわしの兵だ。ただし掌で一掬いだけ汲む者は別だが』と」―クルアーン2:250(249) 「ギデオンの戦士」の話が、クルアーンでは「サウル王の兵士」として語られている。「ギデオン」とは、古代イスラエル王国ができる前の士師と呼ばれる英雄である。ホテルや旅館、病院に聖書を置く活動をしている「ギデオン協会」の名前は、これに由来する。また「サウル王」とは紀元前10世紀の人物であり、古代イスラエル王国の初代の王である。 人物の死期が異なる 「いよいよ我ら(=アッラー自称)が彼(=ソロモン)に死の断を下した時も、さすがの彼ら(=精霊たち。ちょうどその時有名なソロモンの神殿の建設中で精霊たちはみな苦役に服していた)も全然その死に気がつかなかった。ただ一匹の土蛆がいて、それが彼の杖(=ソロモンの死体はその杖に寄りかかってあたかも生あるものの如くであった)を喰っていただけのこと。彼がばたりと倒れた時(=一年かかって蛆が杖を喰いつくし、ソロモンの死体は倒れた、がその時、神殿は完成していた)、精霊どもやっと気がついて、ああ、目に見えぬ世界の事情がわかっていたら、なにも屈辱的な苦役をいつまでも続けるのではなかったに、という次第」―クルアーン34:13(14)、ハディースにも引用あり。 死の時期によって全く異なる歴史が展開する人物として、ユダヤの歴史の中ではソロモン王がその代表である。若い頃のソロモンは、熱心なヤーヴェ信仰の信者であり、旧約聖書においても「箴言」「伝道者の書」「雅歌」などがソロモンの手によるとされている。しかし晩年の彼はヤーヴェ崇拝のみならず、他の宗教をも認める宗教的寛容政策を採った。旧約聖書に述べられたユダヤ教側の主張によれば、神(ヤーヴェ)はその罰として、古代イスラエル王国を南北に分断したとする。旧約聖書には次のようにある。「主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現れ、このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。対して、クルアーンの記述を正当とした場合、神殿建設のさなか、つまりソロモンが非常にヤーヴェへの信仰に熱心だった時期に彼が死んだならば、イスラエルの南北分裂はなぜおきたのかに関して、ユダヤ教・キリスト教において展開された神学的説明とは相容れない。 ただしムスリム側は、当時(から現代に至るまで)ユダヤ教徒・キリスト教徒の間で使われている聖書は、歪曲・改竄が繰り返されたことで啓示された本来の内容から離れており、それゆえにクルアーンとの食い違いが生じたと解釈する。この解釈に従えば「本来の」聖書の内容は新約・旧約ともにクルアーンとは原理上矛盾しない。故に最後の預言者であるムハンマドに下されたクルアーンが「確証」するべき「聖書」とは、現存するユダヤ教徒・キリスト教徒の聖書ではなく、「本来の」聖書であるとする。
※この「聖書とクルアーンの記述の食い違い」の解説は、「クルアーン」の解説の一部です。
「聖書とクルアーンの記述の食い違い」を含む「クルアーン」の記事については、「クルアーン」の概要を参照ください。
- 聖書とクルアーンの記述の食い違いのページへのリンク