聖書におけるアブラハム
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「アブラハム」の記事における「聖書におけるアブラハム」の解説
詳細は旧約聖書冒頭の創世記の12章から25章にかけて、大洪水やノアの箱舟の物語とバベルの塔の話のあとに描かれている。アブラハムは伝説と歴史の間に生きている。この項では、元の名のアブラムを基本に、記述を進める。 テラの子アブラムは、文明が発祥したメソポタミア地方カルデアのウルにおいて裕福な遊牧民の家に生まれたと学者らによって考えられている。カルデアのウル(w:en:Ur_Kaśdim)はメソポタミア北部と南部の説があり、どちらなのかは確定していない。 テラは、その息子アブラムと、孫でアブラムの甥に当たるロト、およびアブラムの妻でアブラムの異母妹に当たるサライ(のちのサラ)と共にカナンの地(ヨルダン川西岸。現在のパレスティナ)に移り住むことを目指し、ウルから出発した。しかし、途中のハランにテラ一行は住み着いた。 アブラムは父テラの死後、神から啓示を受け、それに従って、妻サライ、甥ロト、およびハランで加えた人々とともに約束の地カナン(現在のパレスチナ)へ旅立った。アブラム75歳の時のことである。以下は、その時の神の啓示である。 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上の全ての民族は、あなたによって祝福される。 — 旧約聖書『創世記』12:1-3、日本聖書刊行会の新改訳聖書より アブラム一行がカナンの地に入ると、シェケム(エルサレムの北方約50km)で神がアブラムの前に現れ、 あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。 — 『創世記』12:7、日本聖書刊行会の新改訳聖書より と預言された。アブラムは、自分のために現れてくださったיהוה(神)のため最初の祭壇をシェケムに築いた。その後、アブラム一行は更に南下してベテルとアイの間(エルサレムの北方約20km)に移り住んだ。そしてここにも神のための祭壇を築き、エルシャダイという名によって祈った。 その後、ネゲブ地方(カナン南部の高原性乾燥地帯)が飢饉に襲われたため、アブラム一行は揃ってエジプトへ避難した。見目麗しい妻サライが原因で自分が殺害されることを恐れたアブラムは、妻サライに自分の妹とだけ称させることにした(実際、サライは、アブラムの異母妹であった)。そのサライがエジプト王の宮廷に召し抱えられたため、アブラムは一大財産を築いた。神は、アブラムの妻サライがエジプト王の妻とされたことでエジプト王および王家を災害で痛めつける。エジプト王は、神がアブラム側に立っている事態を理解したので、アブラム一行を彼らの全ての所有物と共にカナンの地へ送り出した。 アブラム一行は、ベテルとアイの間の祭壇まで戻り、エルシャダイという名によって祈った。アブラム一行は既に家畜も奴隷も金銀財産も十分持ち過ぎていたので、アブラムがカナン地方(ヨルダン川西岸)を、ロトがヨルダンの低地全体を選び取って住み分け、ロトは、のちに東方、ヨルダン川東岸に移動した。なお、ロトがヨルダンの低地を選び、移り住んだ時点では、そこにはまだソドムとゴモラが存在しており、これらの都市は神の怒りによって滅ぼされる直前であった。 アブラムとロトとが分かれた後、アブラムに神から以下のような預言が下された。 「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。 — 『創世記』14:14-17、日本聖書刊行会の新改訳聖書より ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信じるいわゆる聖典の民は、いずれも彼を唯一神が人類救済のために選んだ預言者として篤く尊敬し、祝福する傾向が強い。そのため、これらの宗教は「アブラハムの宗教」とも呼ばれる。 彼は老齢になっても嫡子に恵まれなかった(ハランを出発したときは75歳)が、神の言葉 「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」「あなたの子孫はこのようになる。」 — 創世記15:5、新共同訳聖書より と言われ、その後妻のサライの勧めで彼女の奴隷であったハガルを妾にして76歳にしてイシュマエルを授かり、後に99歳で割礼を受け、老妻サラ(サライ)との間に100歳になって嫡子イサク(イツハク)を授かった(『創世記』第16‐18・21章)。これ以外にアブラハムの子として記されているものとして、アブラム137歳の時に妻サラは127年の生涯を閉じた(『創世記』第23章第1節)が、その後アブラハムはケトラという女性を妻に娶りジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアという子供をもうけ、その後アブラハムはイサク以外の子には生前分与として贈り物を与えて東の地に去らせ(第25章第1‐6節)、イサクには残りの全財産を継がせたほか自分の故郷から傍系親族のリベカを連れてこさせて彼の妻にさせた(第24章)。アブラハムは175歳で世を去り、マクペラの洞窟へイシュマエルとイサクによって葬られた(第25章第7‐9節)。 アブラムの墓廟はパレスチナのヨルダン川西岸地区ヘブロンにあり、ユダヤ教とイスラム教の聖地として尊崇されている。
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