聖書におけるバアル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 06:21 UTC 版)
バアルは旧約聖書の著者達からたびたび批判されており、「列王記」上18章のほか、「民数記」25章、「士師記」6章、「ホセア書」2章などにバアルへの言及がある。 「列王記」上18章では、預言者エリヤがバアルの預言者と雨乞いの儀式をもって争い、勝利したことが書かれている。もともと「バアル・ゼブル」(崇高なるバアル)と呼ばれていたのを「バアル・ゼブブ」(蝿のバアル)と呼んで嘲笑した。「士師記」にも記述が見られ、バアルの祭壇を破壊した士師ギデオンはエルバアル(バアルは自ら争う)と呼ばれた。新約聖書、マタイによる福音書の12章24節ではイエス・キリストが悪霊のかしらベエルゼブルの力を借りて悪霊を追い払っているとの嫌疑をかけられている。 また、人身供犠を求める偶像神として否定的に描かれ、アブラハムの宗教に対する「異教の男神」一般を広く指す普通名詞としてバアルの名が使われる場合もある[要出典]。 聖書の中にバアルと合成してできた固有名詞が出てくると、本文が書きかえられることがあった。たとえば、ダビデの子のひとりにベエルヤダ (בעלידע)、すなわち「バアルは知る」という人物がいるが(歴代誌上14:7)、サムエル記下5:16ではエルヤダ (אלידע)「神は知る」に変えられている。同様にサウルの子のひとりエシュバアル (אשבעל)、すなわち「バアルの人」(歴代誌上8:33)はサムエル記下2:8ではイシュ・ボシェテ (איש־בשת)「恥の人」に変えられている。
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