編集部員永井さち子の陳述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:44 UTC 版)
「神坂四郎の犯罪」の記事における「編集部員永井さち子の陳述」の解説
神坂の横領の件は自分たち内部にいたものには去年から判明しており、常識外の浪費であり、その金が帳簿に出ていないのだからすぐに分かった。しかし、今村先生も週に二度、神坂と酒を飲んで、すべて神坂に払わせていた。神坂は今村には義理があり、断れなかったのではないか。 東西文化が創刊された当時、神坂は社長に交際費を出して貰うように交渉していた。社長は編集に仕える金は、一ヶ月五六千円であり、その金は今村との交際で一週間位で飛んでしまい、神坂は他の寄稿家に対しても同様の対応をしていた。神坂には自分のものと他人のものとの区別がはっきりしないところがあったのではないか。橫着で図々しいところもある。悪口を後で言っていても、威勢の良いことを口にする。実際にはけちで、吉祥寺の家は六畳と三畳のアパートで、家族の生活も苦しそうだった。 神坂は色々な女性関係を持ちながら、嫉妬深い。自分と同僚の大森との仲を疑っていた。24歳の時に恋愛に失敗し、その時の傷が癒えていない、一つの恋を忘れるためには新しい恋が必要だ、と答えていたが、前年の11月22日に、神坂が風邪で休んだ際にお見舞いに行ったら、その際に神坂に家族がいることが判明した。 その後、神坂は私に対して邪慳になり、私のすることにけちをつけて、同僚の大森に私の悪口を言うようになった。今回の事件でも、自分は神坂から、最初に社長に告げ口をしたものと疑われた。社長が事件に最初に気づいたのは、大森が関東電気工業の広告料を取りに行ったら、神坂が受けとった後だったので、そこから徐々に調べ上げたものだ。その後、社長が今村に相談をし、2日後に神坂は一万七千円を現金で持ってきて、関東電気工業の広告料として渡した。社長は神坂が使い込みの盥廻しを始めた、大変なことになった、と言った。 その頃、大森とともに日曜出勤をしたら、神坂が八畳の部屋に床をしいたままで、和服に細帯姿の二十四五歳位の女性と一緒なのを目撃した。それが心中相手だったのではないか、と自分は思った。神坂は秘密の好きな人で、本当に秘密にしなくてもいいことまで秘密にしたがるようなもので、奥さんや子供のことも、その方が楽しいからで、梅原千代のことも同じで、自分が他人の知らないいくつかの生活を持っている楽しさに耽溺していたように思える。その意味ではロマンチストで、お金の使い込みもそのロマンティシズムを養うためのもので、そこに神坂の宿命があったようで、気の毒にも思える。神坂にとって一番嫌なことは秘密が暴露されることで、蝦や蟹が堅い殻をかぶって生きるように、内部は弱く、本当の内容はまるで自信のない弱々しい人だったのではないか。 月曜日の夕方、神坂が来月の原稿を封筒から取り出し、次の日の朝までに工場に渡してくれと頼まれ、5つばかりの表題の書いてある封筒を受けとって持ち帰り、翌日工場へ持っていったら、係りの人から清水菊造氏の「戦後経済の国際性」という原稿がはいっていないと指摘され、神坂から電話口で怒鳴られた。自分は工場へ行くまでに封を切っていないと弁解し、悔しい思いをしたが、神坂の仕返しだろうと思う。結果、辞職届を書けと神坂に言われたが、社長は腑に落ちないところがあるから、四五日休め、と言った。自分の秘密を知られたからと言って、原稿を犠牲にし、雑誌の編集方針を狂わせ、自分を辞職させようし、自分を守ろうとしたのは、徹底したエゴイストだからなのではないか。辞職の件は大森の証言で撤回され、大森とともに出社したところ、神坂はお詫びに慰安会をしようと言ってきた。木挽町の待合で料理が出て、しきりに酒を勧められたが、自分は一杯も飲まなかった。最後に神坂が別室へ連れて行こうとしたので、玄関へ駆け出したところ、母親への土産代として五六千円を渡されそうになった。奥さんへの扱いからしても、神坂は女性を軽蔑しているのではないか。梅原千代もきっと欺されたのだろう。神坂には本当に死ぬ気はなかったのだろうと自分は思う。死ぬ位なら関西か九州へ逃げるのではないか。情死事件にも計算があってのことではないか。 事件の少し前に三景書房をやめさせられ、社長から業務横領の訴えをされた際に、神坂は日曜日の夕方に不意に自分のうちを訪問し、今度の事件は雑誌「東西文化」の発展のため、使い込みも社のためで、社長や今村にそのことを話してくれないか、そして、近いうちに独立して出版をやるから、社へ金を返済できる。学校時代の友人が紙のブローカーをしており、二千円を持っており、資本として百万円を出してくれる。紙も相当持っている。事務所としてその友人の京橋の事務所が使用できる。良ければ自分の出版社へ来ないか。給料は倍にする、と言っていた。 ただし、今回のことは、三景書房の社長、今村、神坂の妻も含めて、みんなが悪かったのではないか。みんなで神坂を窮地に落ち来むのを見殺しにし、今になって騒いでいるだけではないのか。「東西文化」の成績は良く、七十万円の使い込みにしても、雑誌の成績が悪くなればその程度の損失は二三ヶ月で出る筈だ。しかし、何だかいろいろこんがらがって、自分には判断がつかない。
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