編集部員大量離脱事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 02:48 UTC 版)
1993年初頭に、鈴木の編集部運営に反発した編集部員のおよそ10人が、二玄社経営陣へ鈴木編集長の解任を求めて抗議行動を起こした。 これに対し、二玄社経営陣が「(実売10万部で親雑誌のカーグラフィックよりも部数が伸びているのは)編集長としての鈴木の手腕である」として、抗議した編集部員数人を『NAVI』編集部から閑職に配置転換すると、当該編集部員らは退職した。このとき退職した編集部員には、『オートカー・ジャパン』副編集長となった齋藤浩之、自動車評論家である森慶太、小澤浩二(現・小沢コージ)らがいる。退職者のうち齋藤を除くメンバーは編集プロダクションを立ち上げたが、のちに解散している。2009年時点では、斎藤はエンジン誌の副編集長に就任し、森と小沢はともにエンジン誌の寄稿者として活動している。 副編集長の小川文夫(現・小川フミオ)と今尾直樹は鈴木を擁護し、陶山拓、 岡小百合、青木陽子らは編集部に残留した。また、抗議行動を起こした編集部員らを支援したノンフィクション作家で自動車評論家の中部博、写真家の守屋裕司らは同誌編集部に出入り禁止となった。
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