綾渡の夜念仏と盆踊とは? わかりやすく解説

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綾渡の夜念仏と盆踊 (愛知県)

名称
綾渡<あやど>の夜念仏<よねんぶつ>と盆踊ぼんおどり
区分
重要無形民俗文化財
所在地
愛知県東加茂郡足助町綾渡
保護団体
綾渡の夜念仏と盆踊り保存会
公開日
8月10日15日

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解説
綾渡の夜念仏と盆踊は,地域人々が行列を作って歩きながら,また,所定の場所で立ち止まり行われる,鉦を打ちながら念仏唱和する念仏と,それに続いて行われる三味線太鼓などの楽器使わない歌だけによる盆踊である。その始まりは明確ではないが,遅くとも江戸時代から伝承されていると考えられる

綾渡の夜念仏と盆踊

名称: 綾渡の夜念仏と盆踊
ふりがな あやどのよねんぶつとぼんおどり
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 綾渡夜念仏盆踊り保存会
指定年月日 1997.12.15(平成9.12.15)
都道府県(列記): 愛知県
市区町村(列記): 東加茂郡足助町綾渡
代表都道府県 愛知県
備考
解説文:  綾渡の夜念仏と盆踊は、盆の夜に地域人びとが行列を作って歩きながら、さらに所定位置立ち止まって、鉦【かね】を打ち念仏唱和する念仏と、それに引き続いて行われる歌だけに合わせ三味線太鼓などの楽器使わない盆踊である。これが伝承される足助町綾渡は、愛知県東北部にあたり標高〇〇メートル超える山間にひらけた集落である。
 この夜念仏盆踊は、綾渡の平勝寺【へいしようじ】境内中心に行われる八月十日十五日の夕方に、平勝寺境内にある綾渡集会所保存会人びと集まり、鉦や平笠【ひらがさ】などの用具整え、夜七時過ぎに、平勝寺参道入口の「幟立【のぼりたて】」と呼ばれる場所に夜念仏を行う男性たちが移動し、寺に向かって行列整える。人びと平笠をかぶり、浴衣角帯かくおび】をしめ、腰に白扇はくせん】をさし、白足袋【しらたび】に下駄を履いている。行列先頭最後に一人ずつ、それぞれ切子【きりこ】灯籠を棒から下げたものを持つ者が立つ。地元では、この灯籠を「折子【おりこ】灯籠」あるいは単に「折子」と呼び、それを持つ者も「折子」と呼んでいる。先頭の「折子」の次に香炉【こうろ】を両手捧げ持つ「香焚【こうたき】」と呼ばれる者が一人並ぶ。この「香焚」は全体統率者で「年行事」と呼ばれる役の者がなる。その後ろに、左手直径一〇センチメートルの鉦と、右手撞木【しゆもく】を持った人びとが縦二列に並ぶ。この二列の先頭二人を「音頭【おんど】」と呼び音頭に続く人びとを「側【がわ】」あるいは「側衆【がわしゆう】」と呼ぶ。最後先に述べた「折子」である。なお先頭の灯籠には極楽が、最後灯籠には地獄様子描かれている。
 夜念仏は、参道入口行われる「道音頭【みちおんど】」から始まり、この「道音頭」を唱えながら行列は平勝寺へ向かって進み、平勝寺山門下石仏の前など、合わせて五か所で立ち止まり行列隊形変えてそれぞれ決まった念仏唱和する立ち止まって念仏唱和するときは、石仏などに向かって半円形並び、その半円形中央に「香焚」が立ち、それを取り巻く形で、半円両端それぞれ「折子」が立つ。場所を移動する途中行列戻り「道音頭」を唱える。立ち止まる場所とその場での念仏列記すると、石仏前での「辻回向【つじえこう】」、平勝寺山門での「門開【もんびら】き」、寺の境内入り観音堂の前での「観音様回向」、その隣の神明社前での「神【かみ】回向」、平勝寺本堂前での「仏【ほとけ】回向」である。これらの念仏は、いずれも、まず「音頭」が一句唱え続いて側衆」が全員次の句を唱和し、途中で鉦を打ちながら続け全体一時間半ほどになる。
 この夜念仏が終わると、平勝寺境内中央に二基の「折子灯籠」を立て、それを中心に人びとが輪になって盆踊を行う。夜念仏見物していた女性や子どもも加わり歌い手である「音頭とり」の歌に合わせ踊り手も「はやしことば」を歌いながら踊る。なお踊りによっては、右手に扇を持ち、これをひるがえして踊る。伴奏楽器何もないが、人びと下駄を履いていて、その下駄境内砂地一斉に踏んだり、けったりする音が、軽やかな伴奏になっている踊りは「越後甚句【えちごじんく】」や「御嶽扇子踊【おんたけおうぎおどり】」「娘づくし」など一〇曲ほど続く。
 この綾渡の夜念仏は、かつては綾渡地区一五歳から三五歳の男子によって構成される若連【わかれん】」が担当し旧暦七月一日練習始め十日に平勝寺の観音堂前で一通り演じ十三日から十六日にかけては、地区内外の、その年に亡くなった人があった、いわゆる新仏しんぼとけ】の家からの招きに応じて出かけていって夜念仏盆踊披露し十七日には平勝寺境内演じた現在のように新暦八月十日十五日に行うようになったのは昭和四十年ころからである。
 綾渡の夜念仏と盆踊の始まりは明確ではないが、足助町内には一二基の「夜念仏供養塔」があり、その最も古いものは寛政六年(一七九四)の銘があり、また隣の旭町にも一〇基以上の念仏供養塔確認されるので(『足助町誌』一九七五年刊)、江戸時代には夜念仏周辺各地広く行われていたと考えられる。しかし現在も、鉦を打ちながら念仏静かに唱和する念仏伴奏楽器用いない盆踊一連のものとして行っているのは綾渡だけとなった
 盆に先祖新仏供養のために行われる念仏踊盆踊は、全国各地行われ太鼓打ちながら激しく踊ったり、三味線太鼓華やかに踊るなど、多様に展開されているが、綾渡の夜念仏と盆踊は、その古風な形態をうかがわせ、芸能変遷過程地域的特色を示すものとしてとくに重要なのである

綾渡の夜念仏と盆踊

名称: 綾渡の夜念仏と盆踊
ふりがな あやどのよねんぶつとぼんおどり
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 綾渡夜念仏保存会
選択年月日 1972.08.05(昭和47.08.05)
都道府県(列記): 愛知県
市区町村(列記): 東加茂郡足助町綾渡
代表都道府県 愛知県
備考 所在地同一都道府県内のもの(このデータ種別1から移行しています)
解説文:  綾渡の夜念仏と盆踊は、盆の夜に地域人びとが行列を作って歩きながら、さらに所定位置立ち止まって、鉦【かね】を打ち念仏唱和する念仏と、それに引き続いて行われる歌だけに合わせ三味線太鼓などの楽器使わない盆踊である。これが伝承される足助町綾渡は、愛知県東北部にあたり標高〇〇メートル超える山間にひらけた集落である。
 この夜念仏盆踊は、綾渡の平勝寺【へいしようじ】境内中心に行われる八月十日十五日の夕方に、平勝寺境内にある綾渡集会所保存会人びと集まり、鉦や平笠【ひらがさ】などの用具整え、夜七時過ぎに、平勝寺参道入口の「幟立【のぼりたて】」と呼ばれる場所に夜念仏を行う男性たちが移動し、寺に向かって行列整える。人びと平笠をかぶり、浴衣角帯かくおび】をしめ、腰に白扇はくせん】をさし、白足袋【しらたび】に下駄を履いている。行列先頭最後に一人ずつ、それぞれ切子【きりこ】灯籠を棒から下げたものを持つ者が立つ。地元では、この灯籠を「折子【おりこ】灯籠」あるいは単に「折子」と呼び、それを持つ者も「折子」と呼んでいる。先頭の「折子」の次に香炉【こうろ】を両手捧げ持つ「香焚【こうたき】」と呼ばれる者が一人並ぶ。この「香焚」は全体統率者で「年行事」と呼ばれる役の者がなる。その後ろに、左手直径一〇センチメートルの鉦と、右手撞木【しゆもく】を持った人びとが縦二列に並ぶ。この二列の先頭二人を「音頭【おんど】」と呼び音頭に続く人びとを「側【がわ】」あるいは「側衆【がわしゆう】」と呼ぶ。最後先に述べた「折子」である。なお先頭の灯籠には極楽が、最後灯籠には地獄様子描かれている。
 夜念仏は、参道入口行われる「道音頭【みちおんど】」から始まり、この「道音頭」を唱えながら行列は平勝寺へ向かって進み、平勝寺山門下石仏の前など、合わせて五か所で立ち止まり行列隊形変えてそれぞれ決まった念仏唱和する立ち止まって念仏唱和するときは、石仏などに向かって半円形並び、その半円形中央に「香焚」が立ち、それを取り巻く形で、半円両端それぞれ「折子」が立つ。場所を移動する途中行列戻り「道音頭」を唱える。立ち止まる場所とその場での念仏列記すると、石仏前での「辻回向【つじえこう】」、平勝寺山門での「門開【もんびら】き」、寺の境内入り観音堂の前での「観音様回向」、その隣の神明社前での「神【かみ】回向」、平勝寺本堂前での「仏【ほとけ】回向」である。これらの念仏は、いずれも、まず「音頭」が一句唱え続いて側衆」が全員次の句を唱和し、途中で鉦を打ちながら続け全体一時間半ほどになる。
 この夜念仏が終わると、平勝寺境内中央に二基の「折子灯籠」を立て、それを中心に人びとが輪になって盆踊を行う。夜念仏見物していた女性や子どもも加わり歌い手である「音頭とり」の歌に合わせ踊り手も「はやしことば」を歌いながら踊る。なお踊りによっては、右手に扇を持ち、これをひるがえして踊る。伴奏楽器何もないが、人びと下駄を履いていて、その下駄境内砂地一斉に踏んだり、けったりする音が、軽やかな伴奏になっている踊りは「越後甚句【えちごじんく】」や「御嶽扇子踊【おんたけおうぎおどり】」「娘づくし」など一〇曲ほど続く。
 この綾渡の夜念仏は、かつては綾渡地区一五歳から三五歳の男子によって構成される若連【わかれん】」が担当し旧暦七月一日練習始め十日に平勝寺の観音堂前で一通り演じ十三日から十六日にかけては、地区内外の、その年に亡くなった人があった、いわゆる新仏しんぼとけ】の家からの招きに応じて出かけていって夜念仏盆踊披露し十七日には平勝寺境内演じた現在のように新暦八月十日十五日に行うようになったのは昭和四十年ころからである。
 綾渡の夜念仏と盆踊の始まりは明確ではないが、足助町内には一二基の「夜念仏供養塔」があり、その最も古いものは寛政六年(一七九四)の銘があり、また隣の旭町にも一〇基以上の念仏供養塔確認されるので(『足助町誌』一九七五年刊)、江戸時代には夜念仏周辺各地広く行われていたと考えられる。しかし現在も、鉦を打ちながら念仏静かに唱和する念仏伴奏楽器用いない盆踊一連のものとして行っているのは綾渡だけとなった
 盆に先祖新仏供養のために行われる念仏踊盆踊は、全国各地行われ太鼓打ちながら激しく踊ったり、三味線太鼓華やかに踊るなど、多様に展開されているが、綾渡の夜念仏と盆踊は、その古風な形態をうかがわせ、芸能変遷過程地域的特色を示すものとしてとくに重要なのである
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