〒630-2222 奈良県山辺郡山添村堂前
通し矢
(堂前 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/06 06:19 UTC 版)
通し矢(とおしや)は、弓術の一種目。堂射(どうしゃ)、堂前(どうまえ)などともいう。京都蓮華王院(三十三間堂)の本堂西側の軒下(長さ約121 m)を、南から北に矢を射通す競技である。様々な種目があったが、一昼夜に堂の南端から北端までの全長を射通した矢の数を競う「大矢数」が有名である。と思う
注釈
- ^ 日置流道雪派、旧高槻藩士、慶應義塾師範、大正3年大日本武徳会範士
- ^ 仙台市青葉区花壇や米ヶ袋にあったという。両地とも広瀬川に三方を囲まれており、流れ矢が川に落ちるようになっていた[12]。
- ^ 金沢市広坂の「しいのき迎賓館」(旧石川県庁舎)付近。堂形のシイノキ参照。
- ^ 資料には何某家来とあるが、他の資料を参考に藩名を記した。
- ^ 資料には何某弟子などとあるが、師匠名や他資料を参考に流派名を記した。
- ^ (通し矢)/(総矢数)。参考のため記すが、記録には関係ない。
- ^ 竹林派祖の石堂如成に師事したとも。
- ^ 日置流印西派吉田重氏の実弟
- ^ 古事類苑には記載漏れ。記録は矢数帳による[18]。
- ^ 松平中務大輔家来とあるが、寛永年間には伊予松山藩主蒲生忠知が松平中務大輔を名乗っている。
出典
- ^ a b 石岡久夫「京都三十三間堂通し矢の分析」『体育学研究』第13巻第5号、一般社団法人日本体育学会、1969年、28頁、doi:10.5432/jjpehss.KJ00003395920。
- ^ 『駒井日記』文禄4年4月15日條
- ^ a b 矢数帳.
- ^ 名古屋市 編『名古屋市史人物編 下巻』国書刊行会、1981年10月、2頁。全国書誌番号:82005065。
- ^ a b 神宮司庁 1930.
- ^ 入江康平 編「回顧」『弓道資料集第十一巻 本多利実弓術論集』いなほ書房(原著1997年12月)、132頁。
- ^ a b 入江康平 2003, p. 182.
- ^ “東大寺通し矢絵巻”. 松波佐平弓具店. 2023年3月19日閲覧。
- ^ 不明 (1842年). “南都大佛殿遠矢之図”. 奈良県立図書情報館. 絵図屋庄八か. 2023年3月19日閲覧。
- ^ 伊勢貞丈 著「煉弓」、今泉定介 編『故実叢書 安斉随筆(伊勢貞丈)』 巻之十一、吉川弘文館、1906年。doi:10.11501/771898。全国書誌番号:40013115 。
- ^ 小林暉昌 (1996年). “弓術書をどう読むか”. 朝嵐 弓道・本多流を求めて. 2023年3月19日閲覧。
- ^ 柴修也 (2000年5月31日). “片平歴史物語 第七回【三十三間堂】”. 片平たてもの通信第9號. 2008年2月4日閲覧。
- ^ 入江康平「通し矢競技の実施時期に関する一考察」『体育科学系紀要』第20巻、筑波大学体育科学系、1997年3月、41-55頁、hdl:2241/15832、ISSN 0386-7129、2023年3月19日閲覧。
- ^ 本間周子「「通し矢」のスポーツ的性格に関する一考察」『体育研究所紀要』第31巻第1号、慶應義塾大学体育研究所、1991年12月、1-8頁。
- ^ 『星野勘左衛門指矢の書』(徳川蓬左文庫所蔵)。名古屋大学弓道部-悟弓巻頭言集 魚住文衞「武道としての弓道について」を参考にした。
- ^ a b 矢数帳, p. 16.
- ^ 矢数帳, p. 17.
- ^ 矢数帳, p. 26.
- ^ 矢数帳, p. 27.
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