徳山の盆踊
名称: | 徳山の盆踊 |
ふりがな: | とくやまのぼんおどり |
種別1: | 民俗芸能 |
保護団体名: | 徳山古典芸能保存会 |
指定年月日: | 1987.12.28(昭和62.12.28) |
都道府県(列記): | 静岡県 |
市区町村(列記): | 榛原郡中川根町徳山 |
代表都道府県: | 静岡県 |
備考: | |
解説文: | この芸能は、盆の催しとして行われているところから、地元では盆踊として伝承してきている。その内容は風流踊と狂言から仕組まれており、芸能全体の構成が近世初期の古歌舞伎踊のおもかげを伝えるものとして芸能史上貴重な伝承ということができる。 八月十五日夜、頭屋【とうや】で清めのひと踊りをした後、一同は行列を仕立てて徳山浅間神社に向かい、境内に設営してある二間四方の舞堂で芸能を演ずる。 この芸能は、「ヒーヤイ踊」、「狂言」、「鹿【しか】ン舞【まい】」とで構成されている。「ヒーヤイ踊」は、少女達の小歌踊(以前は、青年が女装して踊っていた。演目には、「神すずしめ」、「桜花」、「牡丹」、「かぼちゃ」等がある)でヒーヤイという囃詞【はやしことば】がはいるところからこのように呼称されている。「狂言」の演目には「頼光【らいこう】」、「昆布売【こんぶうり】」、「新曽我【しんそが】」等がある。「鹿ン舞」は、鹿に扮した若者がかがんだままの姿で跳びはねる動物仮装の踊りである。演じ方は、「ヒーヤイ踊」と「狂言」とが舞台で交互に演じられ、その合間に「鹿ン踊」が舞台の周囲で演じられる。 徳山の盆踊は、小歌踊と狂言を交互に演じるという特色をもち、この形態は、古歌舞伎踊の初期の仕組みを伝承するものであり、これに動物仮装の風流が添えられているなど地方的特色にも富んでおり極めて重要である。 |
徳山の盆踊
名称: | 徳山の盆踊 |
ふりがな: | とくやまのぼんおどり |
種別1: | 民俗芸能 |
保護団体名: | 徳山古典芸能保存会 |
選択年月日: | 1971.11.11(昭和46.11.11) |
都道府県(列記): | 静岡県 |
市区町村(列記): | 榛原郡中川根町徳山 |
代表都道府県: | 静岡県 |
備考: | 所在地が同一都道府県内のもの(このデータは種別1から移行しています) |
解説文: | この芸能は、盆の催しとして行われているところから、地元では盆踊として伝承してきている。その内容は風流踊と狂言から仕組まれており、芸能全体の構成が近世初期の古歌舞伎踊のおもかげを伝えるものとして芸能史上貴重な伝承ということができる。 八月十五日夜、頭屋【とうや】で清めのひと踊りをした後、一同は行列を仕立てて徳山浅間神社に向かい、境内に設営してある二間四方の舞堂で芸能を演ずる。 この芸能は、「ヒーヤイ踊」、「狂言」、「鹿【しか】ン舞【まい】」とで構成されている。「ヒーヤイ踊」は、少女達の小歌踊(以前は、青年が女装して踊っていた。演目には、「神すずしめ」、「桜花」、「牡丹」、「かぼちゃ」等がある)でヒーヤイという囃詞【はやしことば】がはいるところからこのように呼称されている。「狂言」の演目には「頼光【らいこう】」、「昆布売【こんぶうり】」、「新曽我【しんそが】」等がある。「鹿ン舞」は、鹿に扮した若者がかがんだままの姿で跳びはねる動物仮装の踊りである。演じ方は、「ヒーヤイ踊」と「狂言」とが舞台で交互に演じられ、その合間に「鹿ン踊」が舞台の周囲で演じられる。 徳山の盆踊は、小歌踊と狂言を交互に演じるという特色をもち、この形態は、古歌舞伎踊の初期の仕組みを伝承するものであり、これに動物仮装の風流が添えられているなど地方的特色にも富んでおり極めて重要である。 |
徳山の盆踊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/07 05:16 UTC 版)
徳山の盆踊(とくやまのぼんおどり)は静岡県榛原郡川根本町の徳山地区に伝承される民俗芸能。国指定の重要無形民俗文化財(芸能、1987年12月28日指定)[1]。
説明


毎年8月15日に浅間神社の例大祭において披露される盆踊りで、成人が演じる「狂言」、少女らによる小歌踊り「ヒーヤイ」(「ヒーアイ」とも)、少年らが鹿に仮装する「鹿ん舞(しかんまい)」の三つの演目から成る[1]。小歌踊りの間に狂言を挟む形式は古いかぶき踊りを彷彿させ、そこに動物の仮装踊りである風流が加わるなどの際立った特徴を持つ[2]。これら狂言と風流踊りから成る全体の構成は近世初期の痕跡を残しており、芸能史的にも貴重とされる。
ヒーヤイは麻の葉文様の浴衣に繻子織の帯を締めた娘たちが、一文字笠を被り、綾棒あるいは扇を持って舞う古風な小歌踊り。囃詞(はやしことば)の「ヒーヤイ」にその名の由来がある。かつては女装した男性が演じた。
鹿ん舞は鹿に扮した少年らが境内に繰り込み跳躍して踊るもので、2頭の牝鹿を従えた牡鹿を先頭に、小鹿と呼ばれる数名の少年らがひょっとこやおかめの面を付けてこれに続き、笛・太鼓などの囃子方が最後尾に付く[1]。仮装の一団は、紅白に彩られた2本の綾棒を前屈みのまま軽やかに回しつつ舞堂の周囲を跳躍する[1]。一旦動きを止め、牡鹿が頭を左右に振った後、「ソリャーウンハーイ」なる言葉を叫んで疾走する一同の所作は、畑を荒らす害獣を調伏する儀礼を意味するともいわれる[1]。かつては篝火を囲んで輪踊りするヒーヤイの周りを警固役となって踊っていたという[1]。
演目の次第はおよそ以下の通り。浅間神社境内と愛宕地蔵堂(浅間神社の東方約500m)を移動して披露される。
(1)鹿ん舞、(2)神よせ〈打ち込みの笛〉、(3)四節踊り〈謡〉、(4)神すずしめ〈ヒーヤイ〉、(5)鹿ん舞、(6)桜花〈ヒーヤイ〉、(7)ぼたん〈ヒーヤイ〉、(8)頼光〈狂言〉、(9)神すずしめ、(10)鹿ん舞、(11)桜花、(12)ぼたん、(13)新曽我〈狂言〉、(14)鹿ん舞、(15)かぼちゃ踊り、(16)ひきは〈踊り〉
交通
脚注
参考文献
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外部リンク
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