経歴と立場についての本人の説明とは? わかりやすく解説

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経歴と立場についての本人の説明(2018年1月)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/10 09:33 UTC 版)

マハーカルナー」の記事における「経歴と立場についての本人の説明(2018年1月)」の解説

「#経歴」および「#経歴をめぐる議論と、経歴変遷」も参照 マハーカルナーは、2018年1月6日行われた原始仏教トーク #46『いま、原始仏教生きる。』」において、自身経歴立場について下記のように述べた原始仏教の定義(動画内での発言位置は 1:25〜 および 8:50〜。※これ以降mm:ss〜 の形式発言位置を示す。2018/2/26に確認。)マハーカルナー認識における原始仏教とは、ブッダ在世時の仏教および、サンガ根本分裂をする前までの仏教ブッダ入滅100年間までの仏教)を指す。 原始仏教上座部部派現代テーラワーダ仏教相違(2:50〜)パーリ語の元々の意味でのTheravādaテーラワーダ)とは、ブッダ入滅から100年後の第二結集時の根本分裂から生じた上座部部派のことを指す。(9:10〜) この根本分裂から生じた部派のうち、上座部部派異端解説される、もしくは上座部部派には含まれないものとして解説される分別説部という部派存在した。(9:50〜)この分別説部をルーツとしてスリランカ大寺派興った大寺派ブッダ入滅から約1000年後ブッダゴーサによって確立された。(9:50〜) 現代テーラワーダ仏教は、大寺派が「上座部テーラワーダ)」を自称したのである。従って、現代テーラワーダ仏教は、根本分裂から生じた部派としての上座部(Theravādaテーラワーダ))とは異なるものである。(9:10〜) 現代テーラワーダ仏教は、マハーカルナー認識における原始仏教とも異なるものである。(15:20〜, 19:40〜) 自身立場15:20〜)マハーカルナー原始仏教比丘である。(15:20〜, 44:40〜) マハーカルナーは、1997年にピヤダッシ・ジャナカテーラから比丘戒受けた。(17:10〜)マハーカルナー認識によれば、ジャナカテーラは、既存テーラワーダ仏教ではなく原始仏教探求していた。(17:18〜) マハーカルナーはジャナカテーラから比丘戒を受ける際、「自分いかなるテーラワーダ系の僧院にも現在属していないし、今後属するつもりはない。自分今後一貫して原始仏教探し求めるそういう意志をもって修行をしています」ということ明確にして、「それでもよい」という許可頂いて比丘戒受けた。(18:05〜) マハーカルナー日本に帰国して以来ずっと、自分原始仏教比丘だがテーラワーダ比丘ではない」と言い続けてきている。(15:40〜, 19:10〜) マハーカルナーは、過去に「自分テーラワーダ比丘大寺派比丘)である」と言ったことは無く思ったともない。(18:35〜) マハーカルナー教えているのは原始仏教ダンマである(19:10〜)マハーカルナーパオ・セヤドーから「日本ダンマ教えなさい」と言われたので、日本ダンマ教えることを実行している。(42:40〜) マハーカルナーは、自身教えているダンマテーラワーダ教えであると言ったことはないし、そう認識したともない。(18:55〜) 世界中でアナパナを教えている指導者多くいるが、その全て清浄道論ベース教えている。無礙解道論方法教えているのは、マハーカルナーの知る限りでは世界中で自分自身だけである。(20:20〜) 「法脈」について(22:44〜)マハーカルナーは、パオ・セヤドーからカンマッターナを学びたい瞑想法学びたい思ってモーラミャイン僧院メイミョー僧院に行くことをかつて決意し、そしてパオ・セヤドーからカンマッターナを実際に学び実践しパオ・セヤドーから直接にカンマッターナの法脈受け継いだ。(25:10〜) 「パオ・セヤドーのカンマッターナの法脈」と「パオ森林僧院法統」は、全く違うものである。(25:50〜) もともと、「パオ森林僧院法脈法統」というものは無い。(23:00〜)パオモーラミャイン僧院には何人も指導比丘がいる。その各人異なバックグラウンド持ち各人教えそれぞれに異なっている。モービ僧院では、それとはまた違うことを教えている。(23:00〜) それらの指導比丘教えている事柄と、マハーカルナー了承している事柄は、かなり異なっている。(23:30〜) マハーカルナーは、自身が「パオ森林僧院法統受け継いだと言ったことは一度もない。(25:50〜, 26:30〜) 当のパオ・セヤドーですらパオ森林僧院をあまり好きではない様子である。(26:30〜) 「パオ森林僧院日本本部(または支部)」と称する組織立ち上げられ経緯26:40〜)日本に帰国する前の経緯パオ・セヤドーという個人からマハーカルナーという個人ダンマ伝達された。パオ・セヤドー自身長い間かかって積み上げてきたダンマ心髄マハーカルナー個人伝達されという事実がある。(27:50〜, 42:24〜) パオ・セヤドーマハーカルナーに「日本帰ってダンマ教えろと言ったとき、マハーカルナーパオ・セヤドーに「パオの名前でやるべきですか?」と訊ねたパオ・セヤドー答えは“Name is not important, any name will do. Dhamma only, is important, so please teach dhamma there.”(名前は重要ではない。どんな名前だっていいよ。ダンマだけが重要である。だからお前は日本行ってダンマ教えなさい)。こう言われた。(26:40〜, 42:30〜) マハーカルナーパオ・セヤドーから「パオ森林僧院日本支部立ち上げて運営しろ」などと頼まれたことは一度もない。(28:40〜, 42:30〜) 「そのように頼まれた」と発言したことも一度もない。(29:00〜) パオ・セヤドー比丘に「どこそこ僧院立ち上げよ」などと言うずがない。(37:30〜) 日本に帰国した後の経緯29:15〜)マハーカルナー修行終えて日本に帰国したとき、瞑想会の会場手配告知などの実施鈴木一生らに全て行ってもらい、マハーカルナー講師としてその瞑想会に参加した。(29:15〜) 当時瞑想会は、最初のうちは、マハーカルナー主催していたわけではなくマハーカルナーは既にセッティングされている瞑想会へ行って教えるのみであったマハーカルナー瞑想会の名前のことをどうこう言う立場ではなかった。(29:15〜, 31:00〜) マハーカルナー当時瞑想会の名前を「マハーカルナー瞑想会」とでもしておこうと思っていたが、鈴木一生は、パオの名前を出さなければ人は来ないという認識示していた。(29:50〜) マハーカルナーは、当時メーリングリストホームページが、瞑想会の名前をどのように名乗っていたのか分からないが、おそらく「パオ森林僧院日本本部」あるいは同「日本支部」という名前であったと思う。そのような名前は、スタッフ誰かが付けていたのだと思う。(30:25〜) マハーカルナー当時、「僧院もないのに、『パオ森林僧院日本本部』というのは、ちょっとやりすぎじゃないかなあ」と思っていたので、どうしてもパオという名前を使いたいのだったら、「パオ森林僧院日本道設立準備室」という名前がよいのではないか思い、その名刺作って配ったこともあるし、当時スタッフとの打ち合わせにおいて、その名前で統一しよう発案したこともあったが、「その名前では人が来ない」として却下された。(31:30〜) 「マハーカルナー法友会」への名称変更について32:45〜)マハーカルナー瞑想会が始まってから数年後、「はらみつ法友会」がマハーカルナー瞑想会の運営から手を引いたので、マハーカルナー瞑想会の運営を行う修行者有志マハーカルナー法友会という組織作って瞑想会の運営をしていくことになった。(32:45〜, 33:40〜)マハーカルナー瞑想会の運営等について様々なアイデア出せようになったのは、この時点以降である。(33:10〜) マハーカルナー法友会ホームページ持っており、そこには同法友会が主催する瞑想会のスケジュール載っているのみであったにもかかわらずホームページの名前は「パオ森林僧院となっていた。マハーカルナーは、それはおかしいのではないか考えホームページの名前を「マハーカルナー法友会」に変えてもらった。(33:50〜)そうしたら、「ダンマがどうの、パオ法統がどうの」と外野大騒ぎをし始めた。(34:50〜) 「マハーカルナー瞑想会の組織パオ森林僧院系列から離脱した」とか「マハーカルナーパオから破門された」などと色々なことが騒がれたが、実際には、当時ホームページマハーカルナー法友会スケジュール載っているだけのページだったから、ホームページの名前を「マハーカルナー法友会」に変えたにすぎなかった。(35:10〜) この名称変更について当時質疑応答にて手短に答えたが、ホームページ名前の変更を公式に説明するという必要性は全く感じなかった。(35:40〜) マハーカルナーは、このことで大騒ぎしている人がい理由が全く分からない事情訊ねられればすぐに答えるだけの話なのに、自分訊ねもしない大騒ぎしている。(35:55〜) ホームページ掲載されていた経歴情報削減した経緯38:30〜)ホームページの名前を変えるよりも少し前のことであるが、パオでの修行経験があると称して日本瞑想会を行っていた人物が、自身瞑想会にて、マハーカルナーについての「嘘ばっかり」・「悪口」を公言していた。(38:30〜) マハーカルナー認識によればその人物は、パオでの修行経験を「売りにして」瞑想会を行っていた。(38:30〜, 40:00〜) マハーカルナーは、当時ホームページの“Teacherのコーナー載っていたマハーカルナー経歴のうち、「パオ僧院全部教わった」という趣旨記述が、その人物の既得権」を侵害した感じさせて傷つけてしまうのだろうと思ったので、そのページ載っていた経歴のうちで、マハーカルナーに関する絢爛豪華経歴」や「すごいだろう、と人に思わせうるようなflashy経歴」を全て削除してもらった。(40:00〜) 同じくパオ・セヤドー経歴ホームページから削除してもらった。(41:10〜) ホームページにおいて、そのように経歴情報削減したのは、その人物が物凄く醜い嫉妬あからさまにてきていて、自分一切相手にしないし一切応答しなかったが、それで「嫌になってしまった(ためである)」。(41:30〜) この経歴削減と、ホームページの名前を上記のとおりに変えたのは、たぶん同じ時期である。(41:00〜, 41:40〜) パオ森林僧院対す自身立場についてマハーカルナーは、「パオ森林僧院日本本部(または支部)」の立ち上げ運営をするつもりはない。(28:50〜,44:15〜)もしも日本パオ森林僧院作りたいならば、それは在家がやるべきことである。(37:45〜, 43:00〜) マハーカルナーパオ森林僧院一員になるつもりはない。(28:20〜, 44:20〜) マハーカルナーは、パオ・セヤドーという名前を借りて自分売り込むつもりは全くない。(44:30〜) マハーカルナーどのような名前でダンマ伝えていようと、マハーカルナーの中でパオ・セヤドーから教わったダンマ生きていることに変わりはない。(43:20〜) その他マハーカルナーアビダンマ他人から教わったことはない。(23:50〜)

※この「経歴と立場についての本人の説明(2018年1月)」の解説は、「マハーカルナー」の解説の一部です。
「経歴と立場についての本人の説明(2018年1月)」を含む「マハーカルナー」の記事については、「マハーカルナー」の概要を参照ください。

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