経歴と立場についての本人の説明(2018年1月)
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「マハーカルナー」の記事における「経歴と立場についての本人の説明(2018年1月)」の解説
「#経歴」および「#経歴をめぐる議論と、経歴の変遷」も参照 マハーカルナーは、2018年1月6日に行われた「原始仏教トーク #46『いま、原始仏教を生きる。』」において、自身の経歴や立場について下記のように述べた。 原始仏教の定義(動画内での発言位置は 1:25〜 および 8:50〜。※これ以降、mm:ss〜 の形式で発言位置を示す。2018/2/26に確認。)マハーカルナーの認識における原始仏教とは、ブッダ在世時の仏教および、サンガが根本分裂をする前までの仏教(ブッダの入滅後100年間までの仏教)を指す。 原始仏教/上座部系部派/現代のテーラワーダ仏教の相違(2:50〜)パーリ語の元々の意味でのTheravāda(テーラワーダ)とは、ブッダ入滅から100年後の第二結集時の根本分裂から生じた上座部系部派のことを指す。(9:10〜) この根本分裂から生じた部派のうち、上座部系部派の異端と解説される、もしくは上座部系部派には含まれないものとして解説される分別説部という部派が存在した。(9:50〜)この分別説部をルーツとしてスリランカで大寺派が興った。大寺派はブッダの入滅から約1000年後にブッダゴーサによって確立された。(9:50〜) 現代のテーラワーダ仏教は、大寺派が「上座部(テーラワーダ)」を自称したものである。従って、現代のテーラワーダ仏教は、根本分裂から生じた部派としての上座部(Theravāda(テーラワーダ))とは異なるものである。(9:10〜) 現代のテーラワーダ仏教は、マハーカルナーの認識における原始仏教とも異なるものである。(15:20〜, 19:40〜) 自身の立場(15:20〜)マハーカルナーは原始仏教の比丘である。(15:20〜, 44:40〜) マハーカルナーは、1997年にピヤダッシ・ジャナカテーラから比丘戒を受けた。(17:10〜)マハーカルナーの認識によれば、ジャナカテーラは、既存のテーラワーダ仏教ではなく原始仏教を探求していた。(17:18〜) マハーカルナーはジャナカテーラから比丘戒を受ける際、「自分はいかなるテーラワーダ系の僧院にも現在属していないし、今後も属するつもりはない。自分は今後も一貫して原始仏教を探し求める。そういう意志をもって修行をしています」ということを明確にして、「それでもよい」という許可を頂いて比丘戒を受けた。(18:05〜) マハーカルナーは日本に帰国して以来ずっと、「自分は原始仏教の比丘だがテーラワーダの比丘ではない」と言い続けてきている。(15:40〜, 19:10〜) マハーカルナーは、過去に「自分はテーラワーダの比丘(大寺派の比丘)である」と言ったことは無く、思ったこともない。(18:35〜) マハーカルナーが教えているのは原始仏教のダンマである(19:10〜)マハーカルナーはパオ・セヤドーから「日本でダンマを教えなさい」と言われたので、日本でダンマを教えることを実行している。(42:40〜) マハーカルナーは、自身の教えているダンマがテーラワーダの教えであると言ったことはないし、そう認識したこともない。(18:55〜) 世界中でアナパナを教えている指導者は多くいるが、その全てが清浄道論をベースに教えている。無礙解道論の方法で教えているのは、マハーカルナーの知る限りでは世界中で自分自身だけである。(20:20〜) 「法脈」について(22:44〜)マハーカルナーは、パオ・セヤドーからカンマッターナを学びたい、瞑想法を学びたいと思って、モーラミャイン僧院、メイミョー僧院に行くことをかつて決意し、そしてパオ・セヤドーからカンマッターナを実際に学び、実践し、パオ・セヤドーから直接にカンマッターナの法脈を受け継いだ。(25:10〜) 「パオ・セヤドーのカンマッターナの法脈」と「パオ森林僧院の法統」は、全く違うものである。(25:50〜) もともと、「パオ森林僧院の法脈/法統」というものは無い。(23:00〜)パオのモーラミャイン僧院には何人もの指導比丘がいる。その各人が異なるバックグラウンドを持ち、各人の教えはそれぞれに異なっている。モービ僧院では、それとはまた違うことを教えている。(23:00〜) それらの指導比丘が教えている事柄と、マハーカルナーが了承している事柄は、かなり異なっている。(23:30〜) マハーカルナーは、自身が「パオ森林僧院の法統を受け継いだ」と言ったことは一度もない。(25:50〜, 26:30〜) 当のパオ・セヤドーですらパオ森林僧院をあまり好きではない様子である。(26:30〜) 「パオ森林僧院日本本部(または支部)」と称する組織が立ち上げられた経緯(26:40〜)日本に帰国する前の経緯パオ・セヤドーという個人からマハーカルナーという個人にダンマが伝達された。パオ・セヤドー自身が長い間かかって積み上げてきたダンマの心髄がマハーカルナー個人に伝達されたという事実がある。(27:50〜, 42:24〜) パオ・セヤドーがマハーカルナーに「日本に帰ってダンマを教えろ」と言ったとき、マハーカルナーはパオ・セヤドーに「パオの名前でやるべきですか?」と訊ねた。パオ・セヤドーの答えは“Name is not important, any name will do. Dhamma only, is important, so please teach dhamma there.”(名前は重要ではない。どんな名前だっていいよ。ダンマだけが重要である。だからお前は日本に行ってダンマを教えなさい)。こう言われた。(26:40〜, 42:30〜) マハーカルナーはパオ・セヤドーから「パオ森林僧院の日本支部を立ち上げて運営しろ」などと頼まれたことは一度もない。(28:40〜, 42:30〜) 「そのように頼まれた」と発言したことも一度もない。(29:00〜) パオ・セヤドーは比丘に「どこそこで僧院を立ち上げよ」などと言うはずがない。(37:30〜) 日本に帰国した後の経緯(29:15〜)マハーカルナーが修行を終えて日本に帰国したとき、瞑想会の会場手配や告知などの実施を鈴木一生らに全て行ってもらい、マハーカルナーは講師としてその瞑想会に参加した。(29:15〜) 当時の瞑想会は、最初のうちは、マハーカルナーが主催していたわけではなく、マハーカルナーは既にセッティングされている瞑想会へ行って教えるのみであった。マハーカルナーは瞑想会の名前のことをどうこう言う立場ではなかった。(29:15〜, 31:00〜) マハーカルナーは当時、瞑想会の名前を「マハーカルナー瞑想会」とでもしておこうと思っていたが、鈴木一生は、パオの名前を出さなければ人は来ないという認識を示していた。(29:50〜) マハーカルナーは、当時のメーリングリストやホームページが、瞑想会の名前をどのように名乗っていたのか分からないが、おそらく「パオ森林僧院日本本部」あるいは同「日本支部」という名前であったと思う。そのような名前は、スタッフの誰かが付けていたのだと思う。(30:25〜) マハーカルナーは当時、「僧院もないのに、『パオ森林僧院日本本部』というのは、ちょっとやりすぎじゃないかなあ」と思っていたので、どうしてもパオという名前を使いたいのだったら、「パオ森林僧院日本道場設立準備室」という名前がよいのではないかと思い、その名刺を作って配ったこともあるし、当時のスタッフとの打ち合わせにおいて、その名前で統一しようと発案したこともあったが、「その名前では人が来ない」として却下された。(31:30〜) 「マハーカルナー法友会」への名称変更について(32:45〜)マハーカルナーの瞑想会が始まってから数年後、「はらみつ法友会」がマハーカルナーの瞑想会の運営から手を引いたので、マハーカルナーの瞑想会の運営を行う修行者有志でマハーカルナー法友会という組織を作って瞑想会の運営をしていくことになった。(32:45〜, 33:40〜)マハーカルナーが瞑想会の運営等について様々なアイデアを出せるようになったのは、この時点以降である。(33:10〜) マハーカルナー法友会はホームページも持っており、そこには同法友会が主催する瞑想会のスケジュールが載っているのみであったにもかかわらず、ホームページの名前は「パオ森林僧院」となっていた。マハーカルナーは、それはおかしいのではないかと考え、ホームページの名前を「マハーカルナー法友会」に変えてもらった。(33:50〜)そうしたら、「ダンマがどうの、パオの法統がどうの」と外野が大騒ぎをし始めた。(34:50〜) 「マハーカルナーの瞑想会の組織がパオ森林僧院の系列から離脱した」とか「マハーカルナーがパオから破門された」などと色々なことが騒がれたが、実際には、当時のホームページはマハーカルナー法友会のスケジュールが載っているだけのページだったから、ホームページの名前を「マハーカルナー法友会」に変えたにすぎなかった。(35:10〜) この名称変更について、当時の質疑応答にて手短に答えたが、ホームページの名前の変更を公式に説明するという必要性は全く感じなかった。(35:40〜) マハーカルナーは、このことで大騒ぎしている人がいる理由が全く分からない。事情を訊ねられればすぐに答えるだけの話なのに、自分に訊ねもしないで大騒ぎしている。(35:55〜) ホームページに掲載されていた経歴情報を削減した経緯(38:30〜)ホームページの名前を変えるよりも少し前のことであるが、パオでの修行経験があると称して日本で瞑想会を行っていた人物が、自身の瞑想会にて、マハーカルナーについての「嘘ばっかり」・「悪口」を公言していた。(38:30〜) マハーカルナーの認識によれば、その人物は、パオでの修行経験を「売りにして」瞑想会を行っていた。(38:30〜, 40:00〜) マハーカルナーは、当時のホームページの“Teacher”のコーナーに載っていたマハーカルナーの経歴のうち、「パオ僧院で全部教わった」という趣旨の記述が、その人物の「既得権」を侵害したと感じさせて傷つけてしまうのだろうと思ったので、そのページに載っていた経歴のうちで、マハーカルナーに関する「絢爛豪華な経歴」や「すごいだろう、と人に思わせうるようなflashyな経歴」を全て削除してもらった。(40:00〜) 同じく、パオ・セヤドーの経歴もホームページから削除してもらった。(41:10〜) ホームページにおいて、そのように経歴情報を削減したのは、その人物が物凄く醜い嫉妬をあからさまにしてきていて、自分は一切相手にしないし一切応答しなかったが、それで「嫌になってしまった(ためである)」。(41:30〜) この経歴の削減と、ホームページの名前を上記のとおりに変えたのは、たぶん同じ時期である。(41:00〜, 41:40〜) パオ森林僧院に対する自身の立場についてマハーカルナーは、「パオ森林僧院日本本部(または支部)」の立ち上げや運営をするつもりはない。(28:50〜,44:15〜)もしも日本にパオ森林僧院を作りたいならば、それは在家がやるべきことである。(37:45〜, 43:00〜) マハーカルナーはパオ森林僧院の一員になるつもりはない。(28:20〜, 44:20〜) マハーカルナーは、パオ・セヤドーという名前を借りて自分を売り込むつもりは全くない。(44:30〜) マハーカルナーがどのような名前でダンマを伝えていようと、マハーカルナーの中でパオ・セヤドーから教わったダンマが生きていることに変わりはない。(43:20〜) その他マハーカルナーはアビダンマを他人から教わったことはない。(23:50〜)
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