端出場ゾーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 04:52 UTC 版)
JR新居浜駅からせとうちバスもしくは新居浜市運営のコミュニティバスに乗車。車で約15分。無料大駐車場有。
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端出場ゾーン
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現在: 国領川上流部(別子ライン)のほぼ真ん中にあり、新居浜市街から川沿いの愛媛県道47号新居浜別子山線を通って立川町集落を抜け、斜張橋「端出場大橋」を渡ったエリアに広がる。本館には別子温泉~天空の湯~、キッズパーク、飲食・土産物コーナー、子供太鼓台展示・イベント展示場などがある。 本館2階の「端出場駅」から約400 mの観光鉄道が開設されており、片道3〜4分で鉱山観光エリアと行き来できる。このエリアでは、旧火薬庫を改造して作られた観光坑道(長さ333 m)内に、江戸時代と近代の、別子銅山の様子が再現されている。観光鉄道に使用されている蒸気機関車は住友別子鉱山鉄道で走っていた蒸気機関車「別子1号」をやや小さく復元した電気駆動式のものである。鉱山鉄道で実際に走っていた蒸気機関車は別子銅山記念館の玄関前に静態展示されている。2019年3月1日、観光列車がリニューアルされ、カゴ車や人車が連結され、より本物に近い列車となった。 屋外にはこの他、砂金採り場やバーベキュー食堂、季節の花園・芝生広場、イベント場などがあるマイントピア別子の中核である。 花園の種類:ソシンロウバイ、山桜、里桜、染井吉野、ミツマタ、サンシュユ(山茱萸)、シャクヤク(5月)、カラー、金糸梅、マリーゴールド、サルビア(5月)。アジサイ(6月)、カノコユリ(7月)など 歴史: 銅山のテーマパークとして平成3年(1991年)6月5日オープンした。この地はかつて、別子銅山の最後となった採鉱本部が昭和5年(1930年)に東平から移って来た所である。明治26年(1893年)に下部鉄道の始発駅が完成した頃から、閉山の昭和48年(1973年)まで、別子銅山の中継地点から採掘現場になり、常に重要な地位を占めていた。 主な遺跡は次の通り 泉寿亭の賓客用玄関と特別室の1室(旧泉寿亭特別室棟 登録有形文化財 平成21年8月7日指定):昭和12年に北新町に建設されたものを平成3年に同内に移設。京風数寄屋造。中に自由に入って観覧できる。 旧端出場水力発電所(登録有形文化財 平成23年1月26日指定):明治45年完成。発電機などがそのまま残っているが内部は非公開で対岸より眺める。 旧別子鉱山鉄道端出場鉄橋「足谷川鉄橋」(登録有形文化財 平成21年8月7日指定):打除鉄橋(うちよけてっきょう)とも云う。対岸と約60度ずれたドイツハーコート社のピントラス橋で明治26年建設。観光鉄道として現在も使用中。 旧別子鉱山鉄道端出場隧道(登録有形文化財 平成21年8月7日指定):中尾トンネルで知られ、長さ92.55m幅員3m。観光鉄道として現在も使用中。 端出場貯鉱庫跡:大正8年完成。駐車場のすぐ脇にある。 第四通洞:標高156m。大正4年完成、長さ4596m。夏は内部から冷たい風が吹き出ている。さらに探索通洞に通じることにより筏津第二斜坑を経て全延長約10kmで筏津に行くことも可能になった。 大斜坑・粗鉱ビン跡:昭和43年9月完成の大斜坑は斜度約15度で延長4455m海面下約1000mに達っした。そこから採掘された粗鉱は4000tの能力がある粗鉱ビンに一時貯鉱された。粗鉱ビンは対岸の山の中腹に見えるが、その左にある大斜坑口は草木で埋もれ見えない。 下部鉄道跡:東平から索道で下ろされた鉱石は、ここ端出場から下部鉄道で星越に運ばれた。 鹿森社宅:北側の大駐車場から鉄道跡をくぐって15分上がると、全盛期には約300戸約1300人の社員と家族が暮した社宅がある。大正5年から建設し昭和45年3月に閉鎖された。別子銅山関連に残る最大の石積で斜面に造られた社宅群の中央には277段の石段が上まで延びる。 端出場大橋 泉寿亭 旧端出場水力発電所 中尾トンネルを抜け打除鉄橋を走る別子1号 第四通洞 大斜坑・粗鉱ビン跡 下部鉄道跡 鹿森社宅の中央階段 別子1号リニューアル車 電気機関車 人車 集電は第三軌条方式
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