東平ゾーンとは? わかりやすく解説

東平ゾーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 04:52 UTC 版)

マイントピア別子」の記事における「東平ゾーン」の解説

端出場ゾーンから県道47号線を4.7km南進した時雨橋の手前を左折、そこからさらに5km30分である。無料駐車場有。端出場ゾーンより6台のマイクロバス運行されていて、2時間見学コース一般11時発と13時発で1300円、平日5人以下は休止土日1人から運行になっている開館時間:午前10時 - 午後5時、休館日:毎週月曜日祭日場合翌日)、冬期閉館毎年12月1日 - 2月末日入館料:無料

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東平ゾーン

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マイントピア別子」の記事における「東平ゾーン」の解説

端出場ゾーンより更に山側の、標高750m付近に位置するそれまで旧別子の東延にあった別子銅山採鉱本部大正5年移って来てから、銅山設備周り社宅小学校娯楽場接待館が建てられ昭和5年採鉱本部が端出場移された後も、昭和43年閉山するまで賑わった。その生活の様子模型映像使って紹介したり、まつわる品々展示したりする「東平歴史資料館」、レンガ造りの旧保安本部活用して銅板レリーフなどを体験できるマイン工房」、その他数々産業遺跡整備されている。また、旧東平中学校跡地に「銅山の里自然の家」が建設されており、古の面影残しながら豊かな自然に囲まれた中で宿泊研修が行える。現在は天空歴史遺産東洋マチュピチュ」との宣伝文句利用者数を増やしている。四国八十八景65番に選定主な遺跡次の通り 東平貯鉱庫跡:1905年明治38年)頃完成。現在は東平象徴となっている。 東平索道停車場跡:上記設備の下にあり、上記同年完成。端出場結んでいた。 旧保安本部1904年明治37年)頃完成マイン工房として利用中。 旧インクライン傾斜面を走る軌道で、現在は同内を上下移動する220段の階段として利用中。 小マンプ:短い方のトンネルで、現在は鉱山運搬機器展示場となっている。 大マンプ長い方のトンネル第三通洞1902年明治35年完成標高747m延長1795m幅3.35m高さ3.73mの主要運搬坑道。 旧火薬庫1912年明治45年)から設置坑口横向き掘られ爆発事故の際に爆風直接出ない構造採鉱本部跡:1916年大正5年)から1928年昭和3年)までの間、ここに二階建て採鉱本部があった。 旧第三変電所:1904年明治37年完成した内部入って見学できるものの、設備無く廃墟である。 一の森標高832m、大正4年1915年)から昭和3年1928年)まで大山積神社祀られていたところで、神社前の100m円周グランドがあり、祭り運動会が行われていた。 歴史資料館後方マイン工房 歴史資料館二階インクラインマンプ 第三通洞火薬庫 採鉱本部跡 旧第三変電所 一の森

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