東平地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:56 UTC 版)
東平(とうなる)地区は、1916年(大正5年)から1930年(昭和5年)まで別子銅山採鉱本部が置かれていた。このような山中に、かつて多くの人が鉱業に従事し、その家族共々生活し、小中学校まであった「街」があったのかと信じられないように現在は山中に静まり返っているが、閉鎖された坑道や鉱物輸送用の鉄道跡などが残っている。付近は再整備され、歴史資科館や、保安本部跡を利用したマイン工房、花木園、高山植物園、子供広場などがある。また東平小学校、中学校の跡地には銅山の里自然の家がある。なお、『東洋のマチュピチュ』と称している。 東平選鉱場跡 東平索道基地跡 旧東平第三変電所
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