東常慶の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 15:55 UTC 版)
天文10年(1541年)になると、東氏の13代目にあたる東常慶が、篠脇城から赤谷山城へと居城を移した。 その理由は、篠脇城が郡上防衛に不十分だったことである。常慶は、天文9年(1540年)、同10年(1541年)と二度にわたり越前朝倉氏の侵攻を受けていた。『遠藤家先祖覚書』では「同年篠脇之城、朝倉勢攻来候事、寄手近く城地不宜様ニ被思召、八幡赤谷山之城」とあり、篠脇城よりも防衛にふさわしい地として赤谷山が選ばれたとされる。
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