秀吉の子飼いから肥後の有力大名へとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 秀吉の子飼いから肥後の有力大名への意味・解説 

秀吉の子飼いから肥後の有力大名へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:10 UTC 版)

加藤清正」の記事における「秀吉の子飼いから肥後の有力大名へ」の解説

永禄5年1562年6月24日刀鍛冶加藤清忠の子として尾張国愛知郡中村現在の名古屋市中村区)に生まれた。母は鍛冶屋清兵衛の娘・伊都永禄7年1564年)、清正3歳時に父が死去し、母と共に津島移った天正元年1573年)、羽柴秀吉生母である大政所と母が従姉妹(あるいは遠縁親戚であった縁から、近江長浜城となったばかりの又従兄弟たる秀吉小姓として仕え天正4年1576年)に170石を与えられた。 近江守護大名佐々木氏一族で、近江名門である山崎片家の娘を娶り、正室とする。 天正8年1580年9月19日秀吉から播磨国神東郡内に120石を与え知行宛行状(『加藤文書』)が記録上の最初登場である。 天正10年1582年4月14日中国経略中の秀吉冠山城攻めた時、清正は城に一番乗り果たして、竹井将監という者を討ち取っている。 天正10年1582年)、本能寺の変が起こると、清正秀吉に従って山崎の戦い参加した翌年賤ヶ岳の戦いでは敵将山路正国討ち取るという武功挙げ秀吉より「賤ヶ岳の七本槍」の一人として3,000石の所領与えられた。 天正13年1585年7月秀吉関白就任する同時に従五位下主計頭叙任する。 天正14年1586年)、秀吉九州平定従い天正16年1588年)に肥後国領主となった佐々成政失政により改易されると、これに替わって肥後北半国195,000石を与えられ隈本城入り、後の天正19年1591年)頃よりこれに改修加えて熊本城とした。 清正賤ヶ岳の戦い以降小牧・長久手の戦い四国征伐九州平定参加し、ほとんどが後備として秀吉周囲を守るか後方支援に当たるかしていた。例えば、小牧・長久手の戦い時に作成されとみられる陣立書残されているが、そこに記され加藤虎介(清正)の動員兵力はわずか150であった。『清正記』などの清正伝記はいくつもの武功に関する記載秀吉からの感状引用記されているが、それらは全て創作である。当時清正秀吉から期待されていたのは、豊臣政権財務官としての役割であった記録確認できるだけでも豊臣氏播磨国和泉国にあった蔵入地代官九州平定の上使としての戦後処理、尾藤知宣改易されて闕所となった讃岐国に新領主決まっていた生駒親正入国するまで代官として臨時統治業務にあたる仕事など知られている。また、和泉国代官務めたことで、堺の商人との関係を深めることになった。なお、清正肥後半国を与えられ理由としては、九州平定終わった直後肥後国人一揆発生し不安定な政治情勢続いていた肥後情勢鑑み長年代官務め九州平定肥後国人一揆後に上使として派遣され現地通じている清正肥後半国を託した考えられている。 肥後における治績良好で、田麦特産品化し南蛮貿易決済当てるなど、世に知られ治水以外に商業政策でも優れた手腕発揮した。ただし、その一方で移封直後発生した朝鮮半島への出兵領国統治暗い影を落とすことになる。 天正17年1589年)、小西領の天草一揆が起こると、小西行長説得無視して出兵強行、これを鎮圧している。なお、西国無比弓取りであり、怪力無双猛将木山正親との仏木坂での一騎打ちでは、正親清正馬乗りになっていたが、黄昏れて視界きかないため、駆けつけ正親家臣が「ご主君はいずれに」と声をかけると、清正が「(正親は)下に」とすぐに答えたため、馬乗りになっている正親の方が家臣落命し、清正咄嗟機転で命を拾っている。その後正親息子で、父親ゆずりの怪力無双勇士であった横手五郎も、清正亡父の仇と狙い熊本築城の際に清正に近づいたが、見破られ城内井戸埋め殺しにあっている。

※この「秀吉の子飼いから肥後の有力大名へ」の解説は、「加藤清正」の解説の一部です。
「秀吉の子飼いから肥後の有力大名へ」を含む「加藤清正」の記事については、「加藤清正」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「秀吉の子飼いから肥後の有力大名へ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「秀吉の子飼いから肥後の有力大名へ」の関連用語

秀吉の子飼いから肥後の有力大名へのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



秀吉の子飼いから肥後の有力大名へのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの加藤清正 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS