真栄里 22連隊最後の戦い
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「歩兵第22連隊」の記事における「真栄里 22連隊最後の戦い」の解説
5月27日、首里城にある32軍司令部の放棄が実施され、日本軍は沖縄本島南部に撤退を開始した。アメリカ軍の追撃は、一部の残留部隊による抵抗と、豪雨によって阻止された。首里には日本軍の負傷兵約1万名が収容されていたが、司令部の南部転進により移動不能な負傷兵約5,000名がその場で自決した。戦車第27連隊長の村上乙中佐(愛媛県新居浜出身)が、首里城において迫撃砲の破片により大腿部に重傷を負い、出血多量にて東風平の病院に搬送中戦死した。22連隊第1大隊は兵力をかき集め、下士官、兵、約40名。軽機関銃1丁、擲弾筒数筒の戦力で、撤退する日本軍の退却援護を命じられた。 5月29日、首里陥落。 5月31日、日本軍は沖縄本島南部に撤退を完了する。 22連隊は、喜屋武半島の真栄里に撤退した。 22連隊は、約300名に増員されたが、その兵士のほとんどが、野戦病院の壕から這い出てきた負傷兵たちであった。 6月7日、第1大隊は志多伯付近で米軍と交戦し、包囲され馬乗り攻撃を受けたため真壁に脱出した。 6月10日、22連隊長吉田中佐は、これまでの戦績を認められ大佐に昇進した。 6月11日、小禄の海軍部隊が全滅する。海軍壕に隣接していた22連隊の壕も占領された。 6月13日、第1大隊、第2大隊は真栄里(現:糸満市中央図書館付近)に布陣した。第3大隊は与座岳の89連隊に派出された。22連隊第1大隊長小城大尉は「ここが、我々の最後の陣地だ。我々は、ここで死ぬんだ。」と訓示した。22連隊第1大隊は、兵員20名に小銃6丁、軽機関銃と擲弾筒数丁、手榴弾が最後の戦力となった。アメリカ軍は戦車を押し立てて侵攻してきた。22連隊の右翼には32連隊が展開して防御にあたり、残存の砲火を集中してアメリカ軍を撃退した。 6月15日まで22連隊の本部は、真壁タヂリガマの壕を使用していた。現在、糸満市真壁 萬華之塔敷地内には『山3474部隊慰霊之碑』が建立されている。 6月17日、真栄里に、奇しくも同名の敵部隊、アメリカ海兵隊第22連隊が侵攻する。敵に包囲され絶体絶命の22連隊長吉田大佐から、最前線で戦闘する22連隊第1大隊への命令は、『22連隊は最後まで戦う。小城大尉の幸運を祈る。』であった。真栄里73高地の22連隊本部洞窟陣地に爆薬が投げ込まれ、22連隊の本部全員が戦死した。また、与座岳に派遣されていた22連隊第3大隊も全滅したと推定される。 アメリカ軍沖縄攻略部隊司令官バックナー中将が、日本軍守備隊司令官牛島中将に降伏勧告の親書を送った。 6月18日、真栄里で、アメリカ海兵隊第22連隊長ハロルド・C・ロバーツ大佐は、日本軍の狙撃により戦死する。その約1時間後、今度はアメリカ軍沖縄攻略部隊司令官サイモン・B・バックナー将軍が日本軍の攻撃により戦死する。22連隊第1大隊長小城大尉は、生き残った部下15名に部隊解散を命令し、前田高地の志村大隊と合流するよう指示した。この日、沖縄守備隊司令官牛島満中将は、大本営に対し決別電報を送信した。 6月19日、真栄里にて、アメリカ陸軍第96師団のクラウディス・M・イーズリー准将が日本軍の機関銃弾2発を額に受け戦死する。アメリカ軍による敗残兵狩りが強化される。19日から21日にかけて、日本軍の生き残り約9千名が掃討される。 6月21日、アメリカ軍沖縄占領を宣言。 6月23日早朝、牛島司令官自決。 6月24日、連隊旗を託された本田昇少尉(愛媛県上浮穴出身)は、宇江城の24師団司令部に後送のうえ奉焼した。22連隊旗の最後は、24師団司令部の白石直之准尉(愛媛県松山出身)が見届けた。現在、糸満市宇江城に『山雨之塔』「22連隊軍旗奉焼の地」の慰霊碑が建立されている。 6月25日、沖縄本島守備の日本軍玉砕が発表される。22連隊本部が玉砕した後も、糸満南方の防御に就いていた22連隊の兵士たちは、最後の一兵まで手榴弾を投げ続け、徹底抗戦をしていたという。 なお、22連隊玉砕の地には、戦後、栄里の塔という慰霊碑が建立され、以下の碑文が刻まれた。 歩兵第22連隊は第32軍の左第一線部隊として真栄里付近に布陣し、南進を続ける優勢なる米軍に対し熾烈なる砲火をあびせ遂に米軍司令官バーグナー中将もこの地に戦死す。住民とともに勇戦奮闘せる我が軍は物量を誇る米軍の攻撃に抗しきれず善戦空しく昭和20年6月17日玉砕し悠久の大義に生く。終戦後真栄里部落民は本戦闘に協力せし住民並びに将兵の遺骨1万2千柱を収集し栄里之塔を建立せしもこのたび南方同胞援護会の助成を得てあらたにこの地を画し塔を改修し永くその遺烈を伝え英魂を弔う。 昭和四三年三月 財団法人 沖縄遺族連合会
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