相矢倉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:37 UTC 版)
双方が矢倉を築いてから戦いを起こす指し方。多くの場合、先手が主導権を握って先攻し、後手が反撃する形になる。しかし、先手が敢えて後手に主導権を渡す指し方もある。 相矢倉の場合でも玉を囲いに入城させず、6九や4一の位置のままで戦いを始める指し方もあるが、大半は以下のような、がっぷり四つの戦いになる。 矢倉3七銀/▲3七銀戦法(棒銀、4六銀・3七桂型、加藤流などに派生) 数ある矢倉戦法の中で、24手組から先手が▲3七銀と指すのが、3七銀戦法である。先手は▲2五歩を突いていたころは棒銀や▲3七銀から▲3五歩△同歩▲同角から▲3六銀の好形を目指し、場合によっては後手からも△7三銀として△7五歩から7筋歩交換をする指し方などを展開していた。 一方で平成の矢倉界を牽引した形として知られるのが、新24手組から飛車先の保留しての▲3七銀で、後手が△4三金右ならば▲3五歩と動いていく。そこで後手は△6四角と先手の仕掛けを牽制し、以下▲6八角△4三金右と駒組みが進む。この▲3五歩△同歩▲同角のー歩交換を防ぐため後手は△2四銀や△6四角と上がる。この形が大流行し、4六銀-3七桂戦法、さらにその先の91手定跡といった凄まじき深化を果たしていくことになる。 ▲3七銀戦法から△6四角▲6八角△4三金右▲7九玉△3一玉▲8八玉△2二玉▲4六銀△5三銀▲3七桂が。4六銀-3七桂戦法といわれる形の入口である。ここからプロ棋士の研究の極地といわれる91手定跡が生まれる。 手順はリンク先を参照。91手まで進んだ終盤の局面まで進んだ局面が4局実戦例がある。渡辺明と屋敷伸之が2局ずつ先手を持って指しており、先手が4戦全勝。渡辺は後手を持ってもチャレンジしているが結果は出なかった。 現在では、この91手定跡に入る以前に、後手側に有力手段が発見されたため、2012年を最後に現れてはいない。 類似に「加藤流」がある。▲3七銀にして▲1六歩、▲2六歩を突く戦術で、▲2六歩-3七銀型から▲6七金右△4三金右▲4六銀(もしくは▲3五歩)△6四角▲6八角△3一玉▲7九玉△2二玉▲8八玉△8五歩▲1六歩が手順の一例で、加藤一二三九段が得意としていた形である。戦法にとことんこだわった加藤は、その時々の流行形には目もくれず、自分が信じる最善形をどこまでも追求していた。データベース上で見ると先手は加藤九段1人で74局を記録しこだわりが感じられる。 以下は玉を囲ってから、▲4六銀と上がって▲3七桂の形を目指す▲4六銀-3七桂戦法(機を見て▲2五桂と跳ねて▲5五歩や▲3五歩から総攻撃を仕掛けていく)または▲4六角と角をぶつける脇システムに分かれていく。いずれもタイトル戦の大舞台で数多く戦われてきた戦型で、激戦が予想される。 ▲4六銀-3七桂戦法では先手が全力で攻め、後手が全力で受けに回る戦型となるが、こうした一戦になるのは数ある戦法の中では実は珍しい。これらは平成中期のタイトル戦で数多く指され、詰みまで定跡化された変化もある。 矢倉3七桂/▲3七桂戦法(▲4七銀-3七桂型他) 24手組から先手が▲3七桂と指すのが、3七桂戦法である。3七銀と並ぶ矢倉の代表戦法で、ここから飛車先を伸ばして後述の▲4七銀-3七桂型(▲3八飛、同型矢倉など)、▲2六歩で止め▲3七桂-4八銀型から雀刺しなどに発展する。またここからも▲3八飛から森下システムに合流することも可能。 同形矢倉 先手が▲3七桂から▲4七銀-3七桂型、後手が△6三銀-7三桂型で対峙する将棋は、昭和の時代に多く指されていた。現在も米長流急戦矢倉を巡る駆け引きの中で現れることがある。以下お互いに1筋、9筋の端歩を突いたり、▲8八玉や△2二玉と入城して、戦いのチャンスを待つ。仕掛けの基本は▲4五歩で、お互いに飛角銀桂で攻め、金銀3枚でがっちり守っているため、すべての駒が働く激しい攻め合いになる。玉の位置、端歩の関係はさまざまなパターンがある。同型から▲4五歩△同歩▲同桂や▲4五歩△同歩▲3五歩が仕掛けの例。大流行した形ではないが、後手急戦矢倉が増えた影響で、その対応策として先手▲4六歩-4七銀型が増加。それを見た後手が追随して、同形矢倉になるケースが散見される。 雀刺し(飛車先不突3七桂・2六銀型、▲2九飛戦法も含む) ▲3七桂の代表的な戦法。矢倉囲いの弱点である端を攻めるため、香の下に飛車を仕込み、右の桂馬時には銀将、そして角行を敵陣の端に集中して攻め込む。先手で▲1五歩を突き越すタイプと、端を受けるスタイルとがある。 森下システム 新24手図から▲6八角と上がった局面である。開発者は森下卓九段で▲3七銀戦法や、加藤流が早くに攻撃形を決めるのに対し、先に玉側に手を掛け、後手の応手、特に右銀の動向を見てから作戦を決めようという考えである。作戦というより思想、考え方に近いともいえる。そして攻撃態勢は▲3七桂-4八銀型から従来の2九飛や雀指しではなく、飛車を3八飛にする。この3八飛の意味は、3七の桂を支え、4八の銀を動きやすくしている点である。 森下がこれを連騰し、高い勝率を収めてから他棋士にも連鎖し、大流行した形であった。戦術の特徴はその柔軟性にある。ただし攻めの要の右銀進出が後手よりも遅く、自陣の攻撃態勢に至る前の段階で相手にイニシアチブを取られるケースも多く、また早めに玉を囲うことにより、端を一点集中攻撃するスズメ刺しという天敵が現れ、激減することになった。しかしその後、▲8八玉を保留して中央から動く指し方が開発され、復活を遂げた。 脇システム 角が4六と6四で向かい合う形を脇システムと呼ぶ。脇謙二が得意とした形である。互いに角が取れるが、とると1手損になるので、向かい合ったまま駒組みが進むケースが多い。タイミングを見て角交換し、▲6一角や▲4一角を狙うのが主眼。研究のしがいのある戦法で、詰みまで研究されている変化もあるといわれる。 四手角と千日手矢倉・三手角(相振り飛車における矢倉崩しにも応用される) 角を先手なら▲2六、後手なら△8四にもっていき、角の睨む位置を、先手から4筋(後手は6筋)にして攻撃の照準を合わせる戦術である。角をその位置にもっていく方法によって、四手ルートと三手ルートがある。四手ルートは先手からみて▲7九~▲4六~▲3七~▲2六と▲7九~▲6八~▲5九~▲2六、三手ルートは▲7九~▲3五歩△同歩▲同角~▲2六や、▲7七~▲5九~▲2六、さらに後手であると△5五歩▲同歩△同角~△7三~△8四などがある。 また、前述の総矢倉と組み合わせ、先手後手お互いが同型と化した局面は、仕掛けたほうが不利となるため、千日手になりやすいことから、特に千日手矢倉と呼ばれている。
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