升田・大山時代の矢倉
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その後、戦後を迎えた当初は、なお戦前派の相掛り戦が主流をなしていた。そのなかで、1947年(昭和二十二年)5月30日、第六期名人戦第六局、塚田正夫八段(当時)と木村義雄名人の対戦は、先手の塚田が角交換に出て天野矢倉に局面を導いた。この木村・塚田戦は相掛り全盛時代から、矢倉将棋復活への貴重な実験であり、新時代への脱皮となる。 矢倉がひとつの囲いから戦法へと昇華するのは戦後で、特に大山康晴が1950年代は「矢倉の大山」とうたわれ、1952年に木村義雄を倒して名人位を奪取した一番の銀矢倉が特に知られる。このころの矢倉戦は5筋を付き合うスタイルでなく、当時の相掛かり戦の延長で、先手▲4六歩、後手△6四歩とどちらかが4筋(6筋)を突く、あるいは4筋と6筋を付き合うパターンであった。 △ 大山 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 銀 金 王 銀 桂 香 一 飛 金 二 歩 歩 歩 歩 歩 角 歩 歩 三 歩 歩 四 歩 五 歩 六 歩 歩 銀 歩 歩 歩 歩 歩 七 角 飛 八 香 桂 金 玉 金 銀 桂 香 九 ▲ 塚田 歩図は△3三角まで図1-13 相矢倉・塚田対大山戦 △ 木村 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 金 王 桂 香 一 飛 銀 金 角 二 歩 歩 歩 歩 歩 歩 三 歩 歩 銀 歩 四 歩 五 歩 歩 六 歩 歩 銀 歩 銀 歩 歩 歩 七 角 金 飛 八 香 桂 玉 金 桂 香 九 ▲ 大山 なし図は▲5七銀図1-14 相矢倉・大山対木村戦 △ 升田 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 桂 香 一 飛 金 金 角 二 歩 銀 歩 歩 三 歩 歩 歩 銀 歩 歩 四 歩 歩 五 歩 歩 歩 歩 歩 六 歩 銀 歩 角 銀 歩 七 金 金 飛 八 香 桂 玉 桂 香 九 ▲ 大山 なし図は△4四歩図1-15 相矢倉・升田対大山戦1 矢倉の流行の始まりは、タイトル戦での相次ぐ採用である。図1-13は、1948年(昭和二十三年)四月十日、第七期名人戦第二局、塚田正夫名人と大山康晴八段(いずれも当時)の対戦。先手は矢倉のコースをとり、後手は、3二金。面白い手で、普通は、4二銀から3三銀とするところ。 これで、3二金から4一玉ー3三角として、従来の四手角の手順を三手角に修正し、序盤の一手の「からさ」を追求しようとした。 図1-14は、1950年(昭和二十五年)六月十二、十三日の第九期名人戦第六局の木村・大山戦。矢倉は持久戦という常識を打破し、右銀を前線に繰り出して急戦矢倉が出現した。 昭和二十年の後半に至って、升田幸三九段と大山康晴十五世名人とで相矢倉の戦いがはじまり、数多く現代矢倉に連なる定跡を創作した。そして勝負のたびに新手が出て、その修正の繰り返しによって多種多様な矢倉が実験されるなかで、矢倉戦法は飛躍的に進歩するとともに、「升田の攻勢」「大山の守勢」というパターンも定着した。 △ 升田 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 桂 香 一 飛 金 金 角 二 歩 歩 銀 歩 歩 三 歩 歩 銀 歩 四 歩 歩 歩 五 歩 歩 歩 銀 六 歩 歩 銀 歩 歩 歩 七 金 金 飛 八 香 桂 角 玉 桂 香 九 ▲ 大山 なし図は▲2六銀まで図1-16 相矢倉・升田対大山戦2 △ 升田 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 桂 香 一 飛 銀 金 角 二 歩 金 銀 歩 歩 三 歩 歩 歩 歩 歩 四 歩 歩 五 歩 歩 歩 歩 六 歩 歩 銀 歩 銀 桂 歩 七 角 金 飛 八 香 桂 玉 金 香 九 ▲ 大山 なし図は△6四歩まで図1-17 相矢倉・升田対大山戦3 △ 大山 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 桂 香 一 飛 金 金 角 二 歩 歩 銀 銀 歩 歩 三 歩 歩 歩 歩 四 歩 歩 五 歩 歩 歩 銀 六 歩 歩 銀 金 歩 歩 七 金 飛 八 香 桂 角 玉 金 桂 香 九 ▲ 升田 なし図は△3五歩まで図1-18 相矢倉・升田対大山戦4 主だったものだけを列記すると、次の通り。 新旧対抗。5筋を突くのが新で、6筋を突くのが旧とし、この戦型で戦いつづけた。 右銀を繰り出す急戦矢倉。 持久戦の相矢倉。 ソデ飛車矢倉。図1-15は、1953年(昭和二十八年)四月二十七・二十八日の第十二期名人戦第二局で、後手がソデ飛車に変化した。 矢倉中飛車の流れ。左銀を中央に繰り出す変化。 棒銀型。図1-16は、1954年(昭和二十九年)四月十五,十六日の第十三期名人戦第一局。先手の升田が、2六銀と棒銀に出た。 矢倉中飛車。図1-17は、1954年(昭和二十九年)五月十、十一日の第十三期名人戦第三局。 銀矢倉。図1-18は、1954年(昭和二十九年)六月七,八日の第十三期名人戦第五局。後手の大山が腰掛け銀から組む銀矢倉を愛用するようになった。 升田,大山戦のあと、さらに矢倉が多様化して個性的な形が続出した。 図1-19は、1955年(昭和三十年)四月十九,二十日の第十四期名人戦第二局の大山・高島一岐代八段戦。大山が、1七香の手を見せ、後手は高島流に組み上げて戦った。その後の展開は、先手は2筋交換、後手は菊水矢倉から△7五歩の展開になる。 △ 高島 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 桂 香 一 飛 銀 角 金 銀 二 歩 金 歩 三 歩 歩 歩 歩 歩 歩 歩 四 五 歩 歩 歩 歩 歩 歩 歩 六 歩 銀 歩 香 七 金 角 金 銀 飛 八 香 桂 玉 桂 九 ▲ 大山 なし図は▲7九玉まで図1-19 相矢倉・大山対高島戦 △ 大山 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 角 桂 香 一 飛 銀 金 金 二 歩 歩 銀 歩 歩 三 歩 歩 歩 歩 四 歩 歩 歩 五 歩 歩 歩 六 歩 歩 銀 歩 歩 銀 七 金 飛 八 香 桂 角 玉 金 桂 香 九 ▲ 花村 なし図は▲3五歩まで図1-20 相矢倉・花村対大山戦 △ 升田 歩 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 桂 香 一 飛 金 王 二 歩 金 銀 歩 歩 三 歩 歩 角 銀 歩 歩 四 歩 歩 五 歩 歩 歩 歩 角 六 歩 歩 銀 金 歩 銀 桂 歩 七 玉 金 角 飛 八 香 桂 香 九 ▲ 大山 なし図は△6四角まで図1-21 相矢倉・大山対升田戦 図1-20は、1956年(昭和三十一年)五月十五.十六日の第十五期名人戦第二局の大山・花村元司八段戦。3七銀型から3五歩と仕掛ける手が出現した。 その後、1956年11月5日 九段戦升田幸三 vs. 灘蓮照など、升田幸三九段や灘蓮照九段も指し出し、灘は▲3八飛(△7二飛)と飛車を一間寄って、▲3七銀から3五歩という戦術を愛用していく。 図1-21は、1957年(昭和三十二年)五月七、八日の第十六期名人戦第一局の升田・大山戦。先手の大山が四手角を採用した。金・銀三枚で玉を囲い、あとの飛・角・銀・桂で攻めるという、四手角の理想である。 △ 二上 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 桂 香 一 飛 金 角 二 金 銀 銀 歩 歩 三 歩 歩 歩 歩 歩 四 歩 歩 歩 五 歩 歩 銀 歩 歩 六 歩 歩 銀 桂 歩 七 角 金 金 八 香 桂 玉 飛 香 九 ▲ 大山 歩図は△6三金まで図1-22 矢倉対雁木・大山対二上戦 △ 中原 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 飛 桂 香 一 王 金 金 二 歩 桂 銀 角 銀 歩 三 歩 歩 歩 歩 歩 歩 歩 四 歩 五 歩 歩 歩 銀 歩 歩 六 歩 歩 銀 金 歩 七 金 飛 八 香 桂 角 玉 桂 香 九 ▲ 大内 なし図は△6二玉まで図1-23 相矢倉・大内対中原戦 △ 後手持駒 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 角 桂 香 一 飛 銀 金 二 歩 歩 歩 金 銀 歩 歩 三 歩 歩 歩 四 歩 五 歩 銀 歩 歩 歩 六 歩 歩 角 歩 歩 桂 歩 七 銀 玉 金 飛 八 香 桂 金 香 九 ▲ 先手持駒 なし図は△3一角まで図1-24 矢倉対矢倉崩し戦 この他に矢倉中飛車や雁木、右玉戦法などもみられる。 図1-22は、1962年(昭和三十七年)五月二十四・二十五日の第二十一期名人戦第四局の大山・二上戦。先手の矢倉中飛車に対して、後手は雁木から流れ矢倉に組み変えている。 図1-23は、1962年(昭和三十七年)十二月七日の予備クラス(奨励会)の中原誠三段と大内延介三段戦。これは先輩たちが指しているのを、若い三段らが真似をしたもの。普通に玉を左(2二玉)に囲うと玉頭から攻められるので、玉を戦線から遠ざけようという指し方である。
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