加藤流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 10:09 UTC 版)
△持ち駒 なし ▲持ち駒 なし図3 矢倉加藤流の駒組み 1990年代前半、勝率7割とも言われた森下システム全盛時にも独特のこだわりをもつ加藤一二三によって指され続けた息の長い作戦であり、▲4六銀 - ▲3七桂型にするには森下システム全盛時では▲3八飛~▲4八銀~▲5七銀~▲4六銀~▲3七桂としていたが、加藤流は頑なに▲3七銀~▲2六歩~▲4六銀としていた。加藤は1980年の十段戦では先手番で相矢倉の際にはすべてこの戦法を使用してタイトル戦を制した。 現在でも矢倉を得意とする居飛車党に愛用されている。当初は▲2六歩を早くから突く矢倉24手組からの移行であったが(頑なに飛車先不突矢倉を拒んでいた加藤一二三九段も)、現在は飛車先不突矢倉から組むことが多い。 ▲2六歩 - ▲1六歩を決めた後に、相手が1筋を受けるか否かで対応を変える柔軟性が特長の戦型である。まず端を受けた場合、棒銀の形から▲1七香 - ▲1八飛の形にして攻め倒す。現在はこれで先手有利が確立している。 端を受けなかった場合、端を突き越してから▲3八飛と寄り、▲4六銀と出る機会を狙う。▲3八飛と寄るのは、△6四角のけん制に対して飛車を角筋から外すためである。 後手にもある程度の選択肢があり、当初の四手角陣での構えから、△7三銀から△7五歩▲同歩△同角や△8四銀から棒銀速攻に出る、△5三銀と守りを固め中央からの反撃を窺う、△5三角-6三銀型に組むなど手段は多い。それぞれの手順について定跡が確立している。例えば△7三銀からの速攻には飛車を2八から5八に振って▲4六銀から▲5五歩の中央突破を見せる指し方が多かった。このとき後手が攻撃に供えて△5二飛と防御すれば▲3八飛とし、後手も8筋に戻れば単に3筋に動くよりも手得となっている。 また先手も▲3八飛と寄るだけではなく、場合によっては棒銀の形から▲3七桂 - ▲2七飛 - ▲1八香と組む場合もある。
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