端攻めの出現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:37 UTC 版)
図1-24は、1839年(天保九年)刊『将棊自在』に見える居角左美濃矢倉崩し一歩止めの定跡。「矢倉には端歩を突くな」が常識になっていた時代で、以下2五桂からの矢倉崩しの定跡を示している。この一歩止めが後に再評価されて、画期的な「スズメ刺し」や4六銀戦法など、2五桂戦術の出現へとなったとされている。 △ 木村 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 香 一 飛 銀 金 王 二 桂 角 金 銀 歩 三 歩 歩 歩 歩 歩 歩 四 歩 歩 歩 五 歩 歩 歩 歩 歩 銀 歩 六 歩 歩 銀 金 香 七 玉 金 角 飛 八 香 桂 桂 九 ▲ 塚田 なし図1-25 相矢倉・塚田対木村戦 △ 後手持駒 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 桂 香 一 飛 銀 角 金 二 歩 歩 金 銀 歩 歩 三 歩 歩 歩 歩 四 歩 歩 五 歩 歩 歩 歩 歩 六 歩 歩 銀 歩 桂 香 七 金 金 銀 飛 八 香 桂 角 玉 九 ▲ 先手持駒 なし図1-26 相矢倉・先手雀刺し戦1 △ 後手持駒 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 桂 香 一 飛 銀 角 金 二 歩 歩 金 銀 歩 三 歩 歩 歩 歩 歩 四 歩 五 歩 歩 歩 歩 歩 歩 六 歩 歩 銀 歩 桂 香 七 金 金 銀 飛 八 香 桂 角 玉 九 ▲ 先手持駒 なし図1-27 相矢倉・先手雀刺し戦2 図1-25は、昭和二十六年の第六期名人戦第一局の塚田・木村戦で、このときの先手の1七香-1八飛の構えが、スズメ刺しの源流ではないかと思われている。 これに工夫を加えて、昭和二十八年ごろに升田幸三がスズメ刺しの原型3七桂型、を打ち出し、にわかに流行した。 図1-26は、現代スズメ刺しの基本図。これから、いろいろな変化をたどってゆく。 2二玉の変化 2二銀の変化 2四銀の変化 1六歩、1四歩型 図1-26以下、2四銀、2五歩、1三銀という指し方があらわれた。 そして、3七桂型・3七銀型という区分が現れる。 図1-27は、昭和四十年六月四日の第二十期順位戦の有吉道夫八段対加藤一二三八段戦。1六歩・1四歩型から2五歩型で、この頃から「端のからみ」が重要なテーマになってきた。本局の先手は、3七桂とはねたが、のちに、3七銀型が見られるようになってくる。 歴史的に見れば、3七桂型が先で、3七銀型(2六銀とせず1五歩)があとになっている。 △ 加藤 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 桂 香 一 飛 金 王 二 銀 歩 金 銀 歩 三 歩 歩 角 歩 歩 歩 歩 四 歩 歩 五 歩 歩 歩 歩 歩 六 歩 歩 銀 金 歩 桂 香 七 玉 金 角 銀 飛 八 香 桂 九 ▲ 有吉 なし図は▲1八飛まで図1-28 相矢倉・有吉対加藤戦 △ 山田 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 桂 香 一 飛 金 王 二 角 銀 金 歩 銀 三 歩 歩 歩 歩 歩 歩 歩 四 歩 歩 五 歩 歩 歩 歩 歩 歩 歩 六 歩 銀 金 角 銀 桂 香 七 玉 金 飛 八 香 桂 九 ▲ 米長 なし図は△7三角まで図1-29 相矢倉・米長対山田戦 △ 中原 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 王 桂 香 一 飛 金 銀 二 桂 銀 角 金 歩 歩 三 歩 歩 歩 歩 歩 四 歩 歩 歩 歩 五 歩 歩 歩 歩 六 歩 歩 銀 金 歩 桂 香 七 香 玉 金 角 銀 飛 八 桂 九 ▲ 米長 なし図は△5三角まで図1-30 相矢倉・米長対中原戦 図1-28は、昭和四十三年十一月二十九日の第一期六社戦(のち将棋連盟杯戦)の米長邦雄六段対山田道美八段戦で、2四銀-2五歩、1三銀と後手が端攻めを受けて戦った。 スズメ刺しや棒銀の出現から、1970年代から矢倉はさらに端の絡みが重要なテーマとなる。①両方(1・9筋)を受ける型。②両方を詰める(1五歩・9五歩)型。③片方だけ詰め(1五歩)て、もう一方を受ける型。 これまで、同型矢倉や四枚矢倉は千日手になる危険が多く、矢倉戦法の進歩に大きな障害となっていたが、それを打開する方策として「端のからみ」をテーマとする新しい戦法が出現し、旧称の「矢倉」から「矢倉戦法」に生まれ変わることとなっていく。 図1-29は、昭和五十四年四月十一・十二日の第三十七期名人戦第三局の米長邦雄九段対中原誠名人戦。ここで後手の対応としては、①2二玉、②2二銀、③2四銀があり、②の2二銀が多く見られるようになっていく。 また2一銀ー3三桂ー2一玉と、玉を一つさがった形で受ける指し方もあらわれてきた。 図1-30は、昭和五十四年十月十二・十三日の第二十期王位戦第七局の米長・中原戦。2二銀型の多様化の一例として、受けの5三角の手が指されるようになった。 図1-31は、1980年12月19日 第30期王将戦リーグ先手米長邦雄 vs. 後手勝浦修 戦。対雀刺しには棒銀が有効とされ、後手が棒銀に構える。これに対し、先手の▲2六歩止め+1五歩-2九飛型が出現。先手は4六角-6五歩型さらに右銀を4八~5七~6六に構えると、後手は飛車を6二に展開し、△6四歩から角交換を狙う戦術。 図1-32は、1981年6月30日の十段戦。先手米長邦雄 vs. 後手中原誠 戦。後手の7五歩交換から、先手が▲2六歩止め+1五歩-2九飛型から5九飛が出現する。 この▲2六歩止めと、端を詰めてからの駒の中央への進出は、右銀を使う、別の攻め筋をも生み出す。雀刺しの攻撃手段は飛角桂香の攻めで、銀が攻撃に参加していないというのが欠点としてあった。 図1-33は、1966年12月21日の王将戦予選、先手山田道美 vs. 後手加藤一二三 戦。先手の山田が飛車先を2六に保留のまま右銀を3七から4六に、飛車を5八に展開している。 △ 勝浦 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 香 一 飛 角 金 王 二 桂 歩 金 歩 歩 三 歩 銀 歩 歩 歩 歩 銀 四 歩 歩 桂 歩 五 歩 銀 歩 角 歩 歩 六 歩 歩 銀 金 歩 七 玉 金 八 香 桂 飛 香 九 ▲ 米長 なし図は▲6六銀まで図1-31 相矢倉・米長対勝浦戦 △ 中原 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 桂 香 一 飛 金 二 銀 歩 金 銀 歩 歩 三 歩 歩 歩 歩 四 歩 角 歩 五 歩 歩 歩 歩 歩 六 歩 銀 金 歩 桂 七 金 銀 八 香 桂 角 玉 飛 香 九 ▲ 米長 なし図は▲5九飛まで図1-32 相矢倉・米長対中原戦 △ 加藤 歩 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 桂 香 一 飛 銀 角 二 歩 歩 金 金 銀 歩 三 歩 歩 歩 歩 四 歩 歩 歩 五 歩 銀 歩 歩 歩 六 歩 歩 銀 金 歩 七 金 飛 八 香 桂 角 玉 桂 香 九 ▲ 山田 なし図は△5三金まで図1-33 相矢倉・山田対加藤戦 図1-34は、1969年1月17日 王位戦、先手加藤一二三 vs. 後手中原誠 戦。先手加藤の2六歩型のままの3七銀に後手中原が2四銀と早めに上がり、先手の3五歩をけん制。加藤は図の局面から右銀も繰り替えて雀刺しに移行する。 図1-35は、1976年6月22日 王位戦、先手米長邦雄 vs. 後手加藤一二三 戦。後手加藤2四銀の構えに、先手の米長が2六歩止め3七銀型雀刺しから、4六銀~3八飛~3五歩と仕掛けている。但しその後は銀交換から後手が右玉、先手が居飛車穴熊に移行している。 1979年1月16日 王将戦、先手加藤一二三 vs. 後手中原誠 戦では、先手の加藤が3七銀-3八飛から3五歩とする灘流を採用し、後手中原が2六歩止めを逆用して2四歩から3四銀として2三銀型を狙い、図1-36となる。後手の同歩に2四歩と歩を垂らす狙い。 △ 中原 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 桂 香 一 飛 金 王 二 角 歩 銀 金 歩 三 歩 歩 歩 歩 歩 銀 歩 四 歩 五 歩 歩 歩 歩 歩 歩 歩 六 歩 銀 金 歩 銀 香 七 玉 金 角 飛 八 香 桂 桂 九 ▲ 加藤 なし図は△2二玉まで図1-34 相矢倉・加藤対中原戦 △ 加藤 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 桂 香 一 飛 金 二 銀 金 歩 三 歩 角 歩 歩 歩 歩 歩 銀 歩 四 歩 五 歩 歩 歩 歩 銀 歩 歩 歩 六 歩 銀 金 歩 香 七 玉 金 角 飛 八 香 桂 桂 九 ▲ 米長 なし図は▲3八飛まで図1-35 相矢倉・米長対加藤戦 △ 中原 歩3 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 桂 香 一 飛 金 王 二 歩 角 銀 金 歩 三 歩 歩 銀 歩 四 歩 歩 歩 五 歩 歩 銀 歩 六 歩 歩 銀 金 角 歩 桂 香 七 玉 金 飛 八 香 桂 九 ▲ 加藤 歩図は▲2四歩まで図1-35 相矢倉・加藤対中原戦 こうして80年代初頭に開発された先手矢倉の飛車先一歩止めと右銀参加が、矢倉4六銀戦法へと発展して行った。 さらにこのころから飛車先不突矢倉が出現。源流として、図1-37は、1979年9月21日 順位戦。先手田中寅彦 vs. 後手松浦隆一 戦。先手の田中が飛車先不突矢倉を採用。2七歩のままで3七銀から3五歩を試みた。 図1-38は、1979年12月13日 若獅子戦。先手田中寅彦 vs. 後手武者野勝巳 戦。先手の田中が飛車先不突矢倉から3五歩交換と、1七香から雀刺しにする指し方を披露した。このあと右銀が2六から1四に進出する。類似の戦術は1977年12月7日の十段戦、先手中原誠 vs. 後手加藤一二三 戦で先手の中原が2六歩止め3七銀型の雀刺しから3五歩の1歩交換と3六銀型の陣形を組んでから端攻めを敢行している。 図1-39は、1982年4月26・27日の第四十期名人戦第2局の中原・加藤戦で、先手の名人中原が飛車先不突の作戦を採用した。作戦は当時流行した雀刺しであるが、展開は角交換から中央での展開に持ち込んでいる。 △ 松浦 歩 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 王 角 桂 香 一 飛 銀 金 二 歩 桂 歩 金 歩 歩 三 歩 歩 歩 銀 四 歩 五 歩 歩 歩 歩 六 歩 銀 歩 銀 歩 歩 七 金 角 金 飛 八 香 桂 玉 桂 香 九 ▲ 田中 歩図は▲4八飛まで図1-37 飛車先不突矢倉戦1 △ 武者野 歩 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 桂 香 一 飛 金 王 二 歩 角 銀 金 銀 歩 歩 三 歩 歩 歩 歩 四 歩 角 歩 五 歩 歩 歩 銀 六 歩 歩 銀 金 歩 歩 香 七 玉 金 飛 八 香 桂 桂 九 ▲ 田中 歩図は▲1八飛まで図1-38 飛車先不突矢倉戦2 △ 加藤 なし 9 8 7 6 5 4 3 2 1 香 桂 王 角 桂 香 一 飛 金 二 歩 歩 金 銀 歩 歩 三 銀 歩 歩 歩 歩 四 歩 歩 五 歩 歩 歩 歩 六 歩 歩 銀 金 歩 歩 香 七 金 銀 飛 八 香 桂 角 玉 桂 九 ▲ 中原 なし図は△8四銀まで図1-39 飛車先不突矢倉戦3
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