男鹿目潟火山群一ノ目潟とは? わかりやすく解説

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男鹿目潟火山群一ノ目潟

名称: 男鹿目潟火山群一ノ目潟
ふりがな おがめがたかざんぐんいちのめがた
種別 天然記念物
種別2:
都道府県 秋田県
市区町村 男鹿市
管理団体
指定年月日 2007.07.26(平成19.07.26)
指定基準 地1,地10
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 一ノ目潟は、秋田県男鹿半島先端付近にある淡水湖である。二ノ目潟三ノ目潟とともに目潟火山群構成し火山形態一つであるマール爆裂火口)の典型として知られる目潟火山群は、更新世最末期成立した単性火山群である。マールマグマ接触して起こるマグマ-水蒸気爆発によって円形火口生じる。その際爆発力が非常に強いため、噴出物周辺広範囲飛び散り火口にはわずかの堆積物が残るだけで顕著な環状の丘を持たないまた、男鹿目潟火山群のように火山活動後、火口が貯まって、ある程度水深のある爆裂火口湖を形成することが多いのもマール特徴である。
 東北地方プレート沈み込みに伴う東西圧縮応力場に支配されているため、このような単成火山出現することは珍しくマール東北地方においては男鹿目潟火山群だけが唯一である。日本列島全体見渡して伊豆大島波浮港鹿児島県指宿周辺山川港などいくつかの例確認できるだけである。
 3つのマール東北東方向にほぼ直線上に並んでおり、東側から一ノ目潟、二ノ目潟三ノ目潟呼ばれている。一ノ目潟直径600m、面積0.26平方キロメートル水深44.6mに達し3つのマールの中では最大規模である。
 目潟火山群各々成立については、一ノ目潟、二ノ目潟三ノ目潟順番形成され、各目潟からの火山噴出物層序一ノ目潟南岸露頭最下部より採取した木片放射性炭素分析による年代測定姶良丹沢火山灰更新世段丘との層位関係、一ノ目潟湖底堆積物分析等の研究結果から、一ノ目潟形成年代は6~8万年前、三ノ目潟2万2万千年前と考えられている。男鹿目潟火山群主な噴出物は、一ノ目潟と二ノ目潟がカルクアルカリ安山岩三ノ目潟が高アルミナ玄武岩主とする。これらの噴出物中にはマグマ地下深部から地表上昇する過程周囲マントル破片掴み取って取り込んだ捕獲岩を含むものがある。捕獲岩とは下部地殻上部マントル起源マグネシウム多く含む苦鉄質角閃石ハンレイ岩カクセン岩など)~超苦鉄質カンラン岩・ウェブストライト・角閃石岩)の岩片を含むものである
 一ノ目潟周辺の高度40~240mの段丘面上には、マール形成直接関与した噴出物多量に分布しその間にはAT火山灰姶良丹沢火山灰;約25000年前)が挟まれている。堆積物には,泥流堆積物・ベースサージ堆積物降下軽石/スコリア分布し噴出物体積0.1㎦以下とされている。
 一ノ目潟は、安山岩中にマントル起源捕獲岩含んだ噴出物のあった火山として世界で最初に知られ、その希少さは世界的な注目の的となり各国の研究者により様々な調査研究の場となってきた。近年三ノ目潟での初生玄武岩発見や、目潟火山群特殊な地形男鹿半島寒冷な気候によって環境変動史を解明する手だてとなる良好な湖底堆積物得られる等の新しい知見得られてきている。
 このように、男鹿目潟火山群一ノ目潟は、マール典型として、また単性火山群典型としても重要である。よって、天然記念物として指定し長く保存図ろうとするものである
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男鹿目潟火山群一ノ目潟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 15:23 UTC 版)

一ノ目潟。2020年9月6日撮影。

男鹿目潟火山群一ノ目潟(おがめがたかざんぐんいちのめがた)は、秋田県男鹿市北浦西水口にある国の天然記念物に指定された、爆裂火口(マール、英語: maar)に水が溜まって出来た淡水湖である[1][2]。秋田県沿岸北西部から日本海へ突き出した男鹿半島の先端付近に、一ノ目潟、二ノ目潟、三ノ目潟の3つの湖沼が東北東の方向へほぼ直線状に並んでおり、目潟火山群と呼ばれる単成火山群を形成している[3]

目潟火山群のマールのうち一ノ目潟は、本来であれば地下深くに存在するマントル起源の噴出物の中に、いわゆる捕獲岩が含まれていることが世界で最初に確認された場所として、古くから各国の火山学者らの間では知られており[4]、3つのマールは、火山地形のひとつ「マール」の典型例として[5][6]、日本国内での火山学地理学などの教科書でも取り上げられ、よく知られた存在ではあるが[7]、マール自体を国の天然記念物として指定したものは他所を含め長らく存在せず、国の天然記念物としては比較的新しい2007年平成19年)7月26日に「男鹿目潟火山群一ノ目潟」として国の天然記念物に指定された[1][2]

太平洋プレートの沈み込みに伴う東西方向の応力場[8]の支配する東北地方で、このような単成火山が出現するのは不思議であり[3]、また、多種多様な火山地形を持つ日本においてもマールは例が少なく、特に東北地方では目潟火山群の3つのマールが唯一のものである[2]

解説

目潟火山群の形成年代

一ノ目潟
一ノ目潟の位置[† 1]

「男鹿目潟火山群一ノ目潟」として国の天然記念物に指定された一ノ目潟は、男鹿半島西部の台地上に、ほぼ東北東の方向に並んだ3つの淡水湖のひとつで、古くより火山地形のマールの典型例として知られてきた[5]。マールとは「爆発的な噴火でできた火口で、そのまわりに目立つような堆積物をもたないもの」と定義されている[7][9]。より具体的には、水とマグマが接触して起こる非常に強い水蒸気爆発によって、噴出物が激しく周囲に飛び散るため、一般的な火口のように噴出物が環状に堆積する顕著な丘を形成しないものを指す。日本国内では他の火山地形と比較するとマールは例が少なく、当地のほかには伊豆大島波浮港や、鹿児島県薩摩半島南部の山川港など数例が知られるのみである[2]

目潟火山群の空中写真。右(東側)から一ノ目潟・二ノ目潟・三ノ目潟が並ぶ。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。(1975年11月4日撮影の15枚を合成作成。)

目潟火山群の3つのマールの形成された時期について、かつては沖積世(完新世)の初め頃に開始されたと考えられていたが、3つのマール火山噴出物の序層[10]や、湖底から採取された木片の放射性炭素年代測定などから、一ノ目潟、二ノ目潟、三ノ目潟の順番で形成されたと考えられており[3]、このうち一ノ目潟は6万年前から8万年前[4]、または8万年前から11万年前[11]、二ノ目潟は2万年前から4万年前[12]、三ノ目潟は2万年前から2万4000年前と考えられるようになった[4]。なお、歴史時代の活動歴はない[13]

目潟火山群の活動は3つの活動期があったと考えられており、古い順から、

  1. 第1期 一ノ目潟の形成。泥流を伴った水蒸気爆発。
  2. 第2期 既に形成されていた一ノ目潟でマグマを含んだ水蒸気爆発と軽石が放出され、第2期の末期に二ノ目潟が形成された。
  3. 第3期 三ノ目潟の形成。スコリア火山礫の放出が起きた。

今日確認される目潟火山群の噴出物の体積は0.1 km3以下である。各マールの周辺約 6 km2 の範囲に分布しており、最初の活動で出来た一ノ目潟の周囲には厚さ40 から60 cmほどのスコリアや火山礫の噴出物(放出岩片)が確認できる[9]。二ノ目潟の噴出物は一ノ目潟とは異なり、ほとんどが降下堆積物(降下火山砕屑物[14])で、厚さは数十 cm から 2 mほどで、全体的に西側が厚く東側は薄い[15]。三ノ目潟の噴出物は降下堆積物と放出岩片の両方が見られるが、一ノ目潟ほど放出岩片の量は多くなく、特に花崗岩はほとんど見当たらない[16][17]

一ノ目潟の捕獲岩

一ノ目潟は直径約 600 m水深 44.6 m 、二ノ目潟は直径約 200 m 、水深約 11 m 、三ノ目潟は直径約 400 m 、水深約 31 m である[5]。これら男鹿半島の3つのマールのうち、一ノ目潟は面積 0.26 km2と最大であり[2]、噴出物の中に、本来であれば地下深くに存在するマントル起源の安山岩中に、いわゆる捕獲岩を含むことが世界で最初に確認された場所として、古くより世界の火山学者の注目を集め[4]、その希少性から、各国の研究者により様々な研究調査の対象となっている[7]

捕獲岩(ほかくがん、xenolith、ゼノリス)とはマグマが地下深くから上昇する際に、周囲のマントル起源の破片等を巻き込みながら形成された火山岩で[18]、一ノ目潟の捕獲岩は下部地殻上部マントル起源の苦鉄質(角閃石斑れい岩角閃岩)、超苦鉄質かんらん岩・ウェブステライト・角閃石岩)などを含み、特にかんらん岩としては希少なスピネルかんらん岩、斜長石かんらん岩を含んでいる[19]

下に目潟マールの深度別捕獲岩の種類を示す。一ノ目潟の捕獲岩が圧倒的に多く、三ノ目潟ではごくわずかである。なお二ノ目潟では捕獲岩が全く存在しない[† 2]

目潟マールの捕獲岩・○多量 △少量
深さ km 一ノ目潟 三ノ目潟
下部地殻
20-30km 角閃石岩
角閃石斑れい岩
斑れい岩
角閃岩
斑れい岩
上部マントル 20-30km 斜長石かんらん岩 ○
斜長石輝岩 △
斜長石かんらん岩 ○
斜長石輝岩 △
30km< クロス・スピネルかんらん岩 ○
輝岩 △
クロス・スピネルかんらん岩 ○
輝岩 △
八望台展望台より、二ノ目潟と戸賀湾を望む。2020年1月18日撮影。

これらの捕獲岩の内、最も深いところである最上部マントルから噴出したかんらん岩は、マントル物質の代表的なものと考えられており、30 km の深さから運ばれてきたと推定されている[18]。かんらん岩や輝石、角閃岩などの捕獲岩を運んだマグマ物質は、岩片の表面に天ぷらの衣のように薄く貼り付いており[18]、天然記念物に指定される前は、秋田県内の教育機関等における地学巡検学習では、一ノ目潟の湖畔でこれらの捕獲岩を採集することが可能であったが[20][21]、天然記念物指定後は湖畔への一般の立ち入り自体が禁止されている[22]。目潟火山群の捕獲岩は秋田市秋田大学附属鉱業博物館などに展示・収蔵されており、見学することが可能である[18]

一ノ目潟を含む3つのマールは八望台と呼ばれる展望台より全貌を眺めることができ、西方の日本海側には戸賀湾と呼ばれる半円形の美しいが望めるが、二ノ目潟と戸賀湾の間の地下には約 40 万年前の火口が隠れていると考えられている[22]

伝説

三ノ目潟

一ノ目潟には八郎太郎男鹿半島の一の目潟の女神に惚れ、ここに棲もうとした伝説がある。しかし男鹿真山神社の神職で弓の名人であった、武内弥五郎に片目を射られ撤退したという[23]

一ノ目潟の龍女に八郎太郎は通っていたが、龍女は我が家が八郎に奪われることを恐れ、北浦の社家紀真康に八郎を射殺して欲しいと頼んだ。真康の射た矢は投げ返され、彼の左目を潰した。そのためこの家の主人は以後7代まで片目で、またこの家では湖を舟で渡ることは禁忌であった。しかし、この時の約束でこの家から一ノ目潟に雨を請えば必ず験しがあったという。真康の家は紀丹後正と称し、代々真山の赤神神社の社家であった[24]

交通アクセス

所在地
  • 秋田県男鹿市北浦西水口字一ノ目潟44-5ほか[11]
交通

脚注

注釈

  1. ^ 座標数値は文化庁文化財データベースに記載された数値を使用。
  2. ^ 『秋田県地学のガイド:男鹿半島をめぐって』コロナ社 1986年8月1日 初版 p.30より作成。

出典

  1. ^ a b 男鹿目潟火山群一ノ目潟(国指定文化財等データベース) 文化庁ウェブサイト、2022年11月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e 月刊文化財528号(2007)、p.22。
  3. ^ a b c 秋田県教育委員会 秋田県の地質鉱物(1995)、p.7。
  4. ^ a b c d 月刊文化財528号(2007)、p.23。
  5. ^ a b c 宮城一男(1986)、p.28。
  6. ^ 竹内(1977)、p.117。
  7. ^ a b c 宮城一男(1987)、p.86。
  8. ^ 広域応力場産業技術総合研究所地質調査総合センター ホームページ 2022年11月27日閲覧。
  9. ^ a b 宮城一男(1986)、p.29。
  10. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ). “序層とは”. コトバンク. 株式会社C-POT. 2022年11月27日閲覧。
  11. ^ a b 男鹿目潟火山群一ノ目潟 男鹿市文化スポーツ課、2022年11月27日閲覧。
  12. ^ a b 北中康文・斎藤眞・下司信夫・渡辺真人(2012)、p.46。
  13. ^ 宮城一男(1986)、p.31。
  14. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ). “降下火山砕屑物とは”. コトバンク. 株式会社C-POT. 2022年11月27日閲覧。
  15. ^ 宮城一男(1986)、p.30。
  16. ^ 宮城一男(1986)、pp.30-31。
  17. ^ 宮城一男(1987)、p.88。
  18. ^ a b c d 秋田大学附属鉱業博物館(2018)、p.55。
  19. ^ 秋田県教育委員会 秋田県の地質鉱物(1995)、p.57。
  20. ^ 宮城一男(1986)、pp.32-36。
  21. ^ 宮城一男(1987)、p.89。
  22. ^ a b 北中康文・斎藤眞・下司信夫・渡辺真人(2012)、p.47。
  23. ^ 『辰子姫と八郎太郎 伝説の田沢湖』東奥文化会、1965年、pp.20-22
  24. ^ 絹篩』巻3、『秋田風土記』北浦村の条、『雨の神―信仰と伝説』pp.242


参考文献・資料

  • 文化庁監修、2007年9月1日 発行、『月刊文化財 528号』、第一法規出版
  • 竹内均、1977年7月8日 初版第1刷発行、『日本列島地学散歩 北海道・東北・北関東編』、平凡社
  • 宮城一男、1986年8月1日 新版第1刷発行、『秋田県地学のガイド : 男鹿半島をめぐって』、コロナ社 ISBN 4339075175
  • 第一アートセンター編集・宮城一男著、1987年1月20日 初版発行、『日本の湖沼と渓谷3 東北1 十和田・田沢湖と久慈渓谷』、ぎょうせい ISBN 4-324-00712-8
  • 秋田県教育委員会編、1995年3月31日発行、『秋田県の地質鉱物 天然記念物(地質・鉱物)緊急調査 調査概報』、秋田県教育委員会 NCID BA60610193
  • 北中康文・斎藤眞・下司信夫・渡辺真人、2012年3月11日 初版第1刷発行、『列島自然めぐり 日本の地形・地質 見てみたい大地の風景116』、文一総合出版 ISBN 978-4-8299-8800-8
  • 秋田大学大学院国際資源学研究科附属鉱業博物館、2018年2月28日 第2刷、『鑛のきらめき 秋田大学鉱業博物館解説書』、秋田大学鉱業博物館 ISBN 978-4-7882-8374-9

関連項目

  • マールを対象とした国の天然記念物は本件以外には存在しない。ウィキペディア日本語版に記事のある個別のマールは「Category:マール」を参照。

外部リンク

座標: 北緯39度57分20.45秒 東経139度44分18.96秒 / 北緯39.9556806度 東経139.7386000度 / 39.9556806; 139.7386000



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