環状列石27号でおこなわれた造墓活動とその編年とは? わかりやすく解説

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環状列石27号でおこなわれた造墓活動とその編年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 17:45 UTC 版)

セネガンビアの環状列石」の記事における「環状列石27号でおこなわれた造墓活動とその編年」の解説

環状列石27号は、セネガンビア巨石記念物分布域中でも珍しい二重の環状列石である。Sine Ngayéne墳墓群のなかでも中心的重要な位置占める。 環状列石27号は、直径10mに達す二重の環状列石である。内側の環列石の輪は、中心点からややずれた位置直径4mの輪をつくる環状列石がある。内側列石は、15基の石柱構成されやや小さな規模である。全体的に見て石柱は、50cmから1mくらいの間隔をおいて建てられている。 環状列石27号の発掘調査は、6区分けて行われた北側部分は、1m×3mのサブトレンチを三ヶ所設定して調査行い南側部分は、80~90cmにわたって表土はがした内側の環列石内部中央部分2m×2mトレンチ入れて調査行った調査にあたっては、環状列石中心軸をもとに四つ分割した。1m80から2m及んで層序留意しながら発掘調査すすめた紀元6~7世紀から1415世紀にかけて順次築かれ環状列石は、三期にわけて考えることができるとおもわれる環状列石27号で最初に造墓活動が行われた時期第1期とすると、その様相は、南東区部分のサブトレンチの深さ1.8m~1.2mの位置遺骨が3ヶ所に集められ埋葬されている状況発見されたことによって明らかにされた。遺骨だいたいのところ円形になるように集められ埋葬されているが南北方向にやや長いになっている20個くらいの頭蓋骨対し100本くらいの大腿骨のような長い骨の組み合わせになった錯綜した状態で埋葬されている。これらの遺骨埋葬には、四つ鉄製槍先合金でできた指輪副葬品として発見された。このような状況から、これらの遺骨明らかに二次埋葬よるものであるといえる。これらの骨は別の場所で仮に埋葬され遺体の骨を部分的に採取するなり、選ぶなりしてまとめて埋葬された。環状列石27号の一番下層発見され構造上の全ての発見は、外側環状列石内側の環列石造られる際に中心がやや移動したことを示している。 これらの埋葬行為復元するなら次のうになるおもわれる。まず最初に墓地の主要になる部分として径2m深さ2mに墓坑を掘る。すべて大人のものと思われる骨が相当数遺体一時的に埋葬されている場所から選ばれ頭蓋骨を北、南、東へ集中させて埋葬する。骨が山積みのように埋葬された場所は小高く沖積土覆いラテライトの岩の塊がいくらか積まれたような状態にされた。それから墓坑はすっかり埋め立てられ平坦にならされた。次に墓坑のあった場所に第1期の「墓碑」として外側環状列石墓標となる二つ石柱立てられた。 環状列石27号は名も知られぬ人々の集合墓であり、それぞれの骨や頭蓋骨埋葬されていることを記念するものであって地表にある直径10mの環状列石のみで構成されているのではない。時期的に700年から900年の間に築かれた。正面にあるふたつの石柱は、東側の「回廊」「出入り口」の範囲仕切るように建てられている。 第2期は、深さ0.6m~1.2mの位置埋葬が行われた。主として種類埋葬行為が行われた。ひとつは、ちいさな墓坑に多数長い骨を埋葬する方法である。もうひとつは、歯のついた下顎骨小さな墓坑に埋葬する方法である。こういった遺跡は、いったん掘ってひっくり返し、30cm~50cmほど盛り上げられた場所が目印のようになっているこのような埋葬方法は、限られた空間選択的に多量骨を埋めるような判断の基準があって行われた行為であることが推定される大腿骨腓骨脛骨など長い骨と下顎骨のみが埋葬されているということは、他の骨格の部分排除されているということである。遺体分割するようなこのような変化紀元900年から1000年ころに起こった。前の時代同様に遺体腐敗しやすい状況安置された。次に二次埋葬を行うためにあらかじめ遺体特定の部分の骨を選ぶ儀式が行われた。続いて環状列石27号の埋め土に小さな墓坑が掘られる環状列石埋葬するために個々ないし複数の骨が選ばれ埋葬されるこのように掘られた墓坑も土器一緒に埋め立てられならされる同時期の遺跡遺構など事例調べてみても埋葬行われ方についての頻度がかならずしも充分に推定できるものでもないし、数ある遺体の中で個人特定できるような関連性がかならずしもわかるわけではない紀元1000年紀終わりごろ、つまり、紀元1000年前後に環状列石27号の外面的な様子変化することはなかった。環状列石27号は18巨石環状にめぐり、墓標となるふたつの巨石が2基つけ加わって構成される環状列石27号の第3期、つまり最後様相は、堆積層最上部分にあたる地表から深さ0.2m~0.6mの層から状況を知ることができる。この層には、細かな骨片混じっており、先行する時代埋葬された骨を何回掘り起こしたか、再度掘ったかして動かしてきた結果そのような状態になったのかもしれない環状列石27号の構造は、11世紀から14世紀にかけて列石囲まれ空間部分著しく変貌した環状列石27号の内側の環列石13本の石柱立てられ規模縮小されている。 27環状列石は、この時期以降北側側面土器伴ったラテライト平石置かれ西側にはラテライト小さな石塊長さ1m10cm、幅45cmわたって土器とともに散布しており厚さ50cmにわたっておおっている状態になっていく。つまり、27環状列石は、儀式祭儀を行う場所になっていった。大地対す信仰のために、ラテライト平石は、もしかしたらいけにえないしささげ物のためのテーブル使われたのかもしれないし、または、ささげ物をするための容器や一種のお神酒奉納するような儀式使われたとも考えられる環状列石27号は、二重の環状列石という特色から、墓地全体中核のような存在位置づけられて象徴的な役割を担わされて儀式祭儀を行う空間としてその役割変貌していったと考えられる

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