環状方向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:35 UTC 版)
ベルリン環状線(リングバーン Ringbahn)ゲズントブルンネン駅 - オストクロイツ - トレプトウ公園 - ノイケルン - ズュートクロイツ - シェーネベルク - ヴェストクロイツ - ユングフェルンハイデ - ゲズントブルンネン連絡線 ノイケルン - バウムシューレンヴェーク ベルリン市街を取り巻く形で敷設されている環状路線であり、環状線の内側が都心部となる。路線の総延長は山手線よりもわずかに長い。ノイケルンで分岐しゲルリッツ線バウムシューレンヴェークへ至る連絡線があるほか、放射方向の路線との連絡線がトレプトウ公園 - シュレージエン線/プロイセン東線ワルシャワ通り、トレプトウ公園 - ゲルリッツ線プレンターヴァルト、シェーンハウザーー・アレー - シュテティーン線ボルンホルム通りの各所にあり、列車が直通している。なお戦前にはパーペ通り(現・ズュートクロイツ)およびシェーネベルクの両駅から北へ枝線が分岐し、両方からの枝線が途中で合流してベルリン・ポツダム駅(環状線駅)に至る路線があった。これは環状線本線が市外周部を囲む路線だったために市中心部のポツダム広場への連絡を図ったもので、列車の運転も休日を除きベルリン・ポツダム駅から出発した列車が内回り・外回りともに環状線をほぼ一周 してベルリン・ポツダム駅に戻る運行形態で、純粋な環状運転ではなかった。 放射方面の各線とは、オストクロイツ(ドイツ語版、英語版)、ヴェストクロイツ、ズュートクロイツは直角交差だが、ゲズントブルンネンはシュテティーン線と方向別ホームによる対面乗り換えとなっている。 19世紀中ごろに、ベルリンから放射状に延びる鉄道路線を相互に連絡するために計画・建設され、1871年から数年間かけて順次開業し、1877年に環状線が 全通した。環状線の開業までは、ベルリンの鉄道は、ベルリンと郊外あるいは他都市を結ぶ列車が主流であったが、環状線の開業により、各路線を相互に連絡する旅客・貨物列車が運転されるようになったほか、ベルリンの都市鉄道としての役割も担うようになった。そのため環状線は、現在のベルリンSバーン網のルーツとされている。 ベルリンの壁建設により、北側がゲズントブルンネン(西ベルリン側)とシェーンハウザー・アレー(東ベルリン側)の間 で、南側がトレプトウ公園(東ベルリン側)とゾンネンアレー(西ベルリン側)の間で分断され、東西で別々に運行されていた。西ベルリン側の環状線は1980年に運行中止となり、壁崩壊時点でも復旧していなかった。 ベルリンの壁崩壊以前から環状線の復旧工事は西側で一部着手されていたが、壁崩壊により工事が強力に推進され、1993年にノイケルン - ヴェストエント間が再開、以後9年の歳月をかけて、2002年のヴェストハーフェン(Westhafen)- ゲズントブルンネンの再開により全線復旧し、41年ぶりの全線開通となった。2006年には、45年ぶりの完全環状運転も復活している。 Sバーンと列車線の線路別複々線である。列車線はトレプトウ公園 - ゾンネンアレーの間で途切れているため、完全な環状線ではない。また、フランクフルター・アレー - トレプトウ公園の間は東ベルリン時代に路線が剥がされている。 駅(北側から時計回り):ゲズントブルンネン (Gesundbrunnen) - シェーンハウザー・アレー (Schönhauser Allee) - プレンツラウアー・アレー (Prenzlauer Allee) - グライフスヴァルト通り (Greifswalder Straße) - ランツベルガー・アレー (Landsberger Allee) - シュトルコウ通り (Storkower Straße) - フランクフルター・アレー (Frankfurter Allee) - オストクロイツ (Ostkreuz) - トレプトウ公園 (Treptower Park) - ゾンネンアレー (Sonnenallee) - ノイケルン (Neukölln) - ヘルマン通り (Hermannstraße) - テンペルホーフ (Tempelhof) - ズュートクロイツ (Südkreuz) - シェーネベルク (Schöneberg) - インスブルック広場 (Innsbrucker Platz) - ブンデス広場 (Bundesplatz) - ハイデルベルク広場 (Heidelberger Platz) - ホーエンツォレルンダム (Hohenzollerndamm) - ハーレンゼー (Halensee) - ヴェストクロイツ (Westkreuz) - メッセ北/国際会議場 (Messe Nord/ICC) - ヴェストエント (Berlin-Westend) - ユングフェルンハイデ (Jungfernheide) - ボイセル通り (Beusselstraße) - ヴェストハーフェン (Westhafen) - ヴェディング (Wedding) - ゲズントブルンネン ベルリン外環状線 (Außenring) ホーエン・ノイエンドルフ - ブランケンブルク、ヴァルテンベルク - シュプリングプフール 環状線の更に外側の郊外部を走る形の路線である。列車線は環状路線を形成しているが、Sバーンが走るのはそのうちの一部区間のみであり、すべて放射状の路線との直通運転になっている。Sバーンが走るようになったのは東西分断後であり、ホーエン・ノイエンドルフ - ブランケンブルク間は1961年、ヴァルテンベルク - シュプリングプフール間は1984・1985年からである。Sバーンの線路と列車線の線路は分離されているが、列車線は全線複線であるのに対し、ホーエン・ノイエンドルフ - ブランケンブルク間の一部には単線区間が存在する。 外環状貨物線 (Güteraußenring)
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