独禁法改正と自民党内からの反発による断念
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「三木武夫」の記事における「独禁法改正と自民党内からの反発による断念」の解説
公職選挙法改正案と政治資金規正法改正案、そして自民党総裁選の制度改正とともに、三木が熱意を見せたのは独占禁止法改正であった。背景としてはオイルショック時に起きた便乗値上げや売り惜しみ、価格カルテルといった反社会的とも言える企業行動に、世論の非難が集中したことが挙げられる。公正取引委員会は1974年(昭和49年)9月に独占禁止法改正案の骨子を発表しており、三木は自由主義経済における公正なルール確立を目指し、公正取引委員会案をもとにした独占禁止法改正を提案することになった。 三木が当初考えていた独禁法改正案は、独占的状態にある企業の分割など独占的状態の排除措置を行うことや、違法カルテルによって得た利益に対する課徴金、そして会社、金融機関の株式取得制限などが盛り込まれていた。これらの改正は日本経済の根幹に係わるものであり、三木が独禁法改正に取り組むことが明らかになると、消費者団体などからの賛成意見、そして財界、自民党などからは反対意見が出され、賛否の論議が高まった。 財界の反対意見は、オイルショックによる深刻な不況の影響を受けて日本経済が危機に陥っている中で、企業活動の活力を奪い、国際競争力を失わせる独禁法改正を行うことは認められないという意見であった。三木を指名した椎名も三木の独禁法改正を厳しく批判し、これ以降三木と椎名の関係は悪化していくことになる。財界そして自民党内の反対を受け、独禁法改正案は大幅に修正され、財界にとっても実害は無いとの意見が出されるほど微温的なものにまで後退した。 ところが大幅に修正された独禁法改正案に対し、野党側は理念の後退を批判し、また財界も三木の政治姿勢への警戒感を緩めなかった。椎名の意向を受けた中曽根幹事長は独禁法改正案の成立断念を示唆した。しかし三木は猛然と巻き返し策に打って出た。三木は山中貞則自民党独禁法問題調査会長らに協力を要請し、更に自ら野党幹部にも連絡を取って独禁法改正案の成立を図った。その結果、野党の修正案により与野党合意が成立し、独禁法改正案は衆議院を通過し、法案は参議院に送られた。 独禁法改正案は参議院に審議の場が移ったが、参議院自民党では野党の力を借りて独禁法改正案の成立を図る三木の政治手法に対する批判が沸騰した。新日鉄元副社長の藤井丙午らが中心となった強硬な反対派が結成されるに至り、結局独禁法改正案は参議院で審議未了、廃案に追い込まれた。 三木を支えることを期待された副総理の福田は、三木の理念を重視する政治運営に距離を置き、経済問題に専念していた。そして幹事長の中曽根は椎名副総理の意向を受けて独禁法改正案成立断念を示唆するなど、三木を支えるよりも党内情勢を見ながらの政治運営を行っていた。田中派、大平派との連携が望み薄の情勢下で三木が協力を期待していた福田、中曽根とも、三木を積極的に支えようとはしなかった。 また自民党内で三木が苦境に追い込まれた理由の一つとして、三木を支える三木派は中小派閥で力不足であった上、人材不足も深刻であったことが挙げられる。1975年(昭和50年)の憲法記念日に、改憲派であった稲葉修法相が自主憲法制定の集会に出席したことを国会で野党から追及された際、稲葉は自らは改憲論者で現行憲法は欠陥憲法であると答弁し、野党からの集中砲火、そして自民党内からも辞任論が出て国会が紛糾した。国会の混乱は法案審議に影響したが、結局野党からの追及をかわして三木は稲葉を守った。しかし主に事態収拾に当たったのは福田派の松野政調会長であり、三木派議員の動きは鈍かった。稲葉法相問題解決の経緯は、三木を補佐する有能な調整役がいないという問題を露呈した。 公職選挙法、政治資金規正法改正、独禁法改正問題が大きくなっていた1975年(昭和50年)6月16日、佐藤栄作元首相の国民葬の席で三木は大日本愛国党の党員に顔を殴られる事件が発生した。三木は倒れこんだものの大きな怪我は無く、国民葬は予定通り進められた。なお三木夫人の睦子は大日本愛国党の赤尾敏とかねてからの知り合いで、事件後睦子は赤尾敏に対して直接抗議をしたという。三木には警視庁の警察官が護衛として配置されていたが、やや離れた場所にいた上に三木の進行方向ばかりに気を取られ、暴漢への対応が遅れた。このため警視庁は新たな要人警護の組織を作ることになり、3ヵ月後にセキュリティポリスが創設された。
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