独立〜酒造りへの挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 00:19 UTC 版)
1897年(明治30年)、野口は丸ヨ石橋商店から独立して一本立ちし、小樽の稲穂町で丸ヨ野口商店(後の野口吉次郎商店、北の誉商店の母体)を創業した。暖簾分けにあたって野口は、恩義のある石橋の商売敵にならぬよう、醤油や味噌ではない新事業として、地酒の醸造へ着手した。当時の小樽は急速に栄え、人口増加に伴って日本酒の需要が増加したにも関わらず、当時の本州産の酒は高価で庶民が入手しにくかったことから、安価で多くの人々に喜ばれる酒作りが狙いであった。 4年(4回)にわたる試験醸造を繰り返した末、1901年(明治34年)、最初の酒の醸造に成功した。これには小樽の水質の良さと、丸ヨ石橋商店時代から培った醸造技術が大いに生かされた。地元産の酒は人気を集め、翌1902年(明治35年)には小樽の奥沢町に酒造工場を建設し、規模を拡大していった。 この1901年は後に北の誉酒造の創業の年とされ、北の誉は100年の歴史を持ち、小樽を代表する酒造メーカーへ昇り詰めることとなった。
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