測候所の対応の是非について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 14:37 UTC 版)
「桜島の大正大噴火」の記事における「測候所の対応の是非について」の解説
東京帝国大学教授の大森房吉は、霧島山付近での群発地震の発生などから近々九州で噴火が発生するのではと予測し、観測体制強化のために最新鋭の地震計の配備を訴えていた。そうこうするうちに1913年11月に霧島山が噴火し、1914年に入ると桜島の周辺で群発地震が発生したとの情報を受けた。霧島山の噴火後、鹿児島県から現地調査を要請されていた大森は要請を受けて鹿児島出張の準備を進めており、桜島の異変の情報を受けて動向に注意するようまず鹿児島県知事に連絡しようとした矢先、噴火の第一報が入った。大森は早速現地鹿児島へと向かった。 大森は噴火予知は可能であると考えており、鹿児島へ向かう車中で受けた取材に対して「火山は噴火の前に必ずある期間鳴動する。だから噴火は予知できる」。と語った。一方大森のライバルにあたる東京帝国大学助教授今村明恒もまた、新聞の取材に対してこれまでの桜島の噴火歴や安永噴火時の前兆を考えれば、今回の桜島噴火は予知できたと語っていた。また今村は雑誌への寄稿においても、日本の地震火山学は「今回の桜島噴火の如きは多少これを予知得べき程度には達している」とし、また大正大噴火は前兆現象を含め火山活動全般が安永噴火と極めて類似していると主張した。そうこうするうちに鹿児島では噴火直前まで「噴火は無い」と言い続けていた測候所を厳しく非難する世論が形成されていく。 高まる非難の声に対して、測候所長の鹿角義助は専門誌と地元の鹿児島新聞に寄稿し、自らの見解を述べた。鹿角はまず測候所の旧式地震計一台のみでは震源地の特定も困難であったと主張した。その上で大正大噴火前に噴火した霧島山の観測体制強化等のため、火山の前兆現象とみられる現象を捉えた際には測候所に報告するよう1911年12月に各自治体に対して訓令を出したにも関わらず、大正大噴火前に桜島で観察された様々な異常現象は全く報告されなかったとした。また前年の霧島山噴火後、中央の火山専門家の派遣要請を行っていたが大正大噴火前には実現しなかった事情を説明し、そもそも地震や噴火の予知は測候所の職務とはされていないと主張した。その一方で群発地震等の異常を感知後に、桜島の現地調査を行わなかったことについては判断の誤りを認めた。 測候所で働く人たちの間では、給与面等の待遇が恵まれない中、災害が起きた時ばかり予報出来なかったと世間から指弾されてしまうとの不満が溜まっていた。そのため噴火や地震の予知は技術的に不可能であり、そもそも鹿角の指摘したように天気予報ではない噴火や地震の予知は業務外であると、鹿角の立場に同情し、支持する声が沸き上がった。中でも中央気象台技師の藤原咲平が鹿角支持の論陣を張った。鹿角は技術的に未熟な現状では噴火の予知は不可能であるとし、噴火開始後に逃げ遅れた東桜島村の村民たちの多くが海に飛び込み、亡くなったのはパニック状態における不適切な行動であると指摘した。その上で非常時には人はパニック状態に陥るものであり、またあいまいな回答は疑念を深め混乱を助長するものなので、測候所が噴火が起きないと言明したことはパニック防止の観点から見て適切であると主張した。 藤原の指摘は新聞や雑誌における今村の意見表明を受けてのものでもあった。今村は自らの意見表明が中央気象台や測候所に迷惑をかけた点について謝罪した上で、やはり桜島の大正大噴火については、様々な前兆現象が観察され、更に桜島がこれまで100年ないし200年間隔で大規模噴火を起こしており、しかも近年は落ち着いた状態が続いていて噴火の準備が進んだ状態であったとも推測されるため、警戒を怠るべきではなかったと主張した。この今村の意見に対し、藤原は噴火前に観察された様々な前兆現象が即噴火に結び付けられる根拠が薄弱であると主張した。また確かに桜島は警戒を要した状態にあったと言えるにしても、今村の主張する基準では富士山を始め日本の多くの火山が要警戒に当てはまってしまい、火山研究者が少なく研究水準も低い現状では、調査、警戒が行き届かないことは明白であり、測候所が桜島に特別の調査を行わなかったことは怠慢とは言えないとした。 その後も震源が浅く、火山体を通る中で地震波が強く減衰する火山性地震は、火山周辺に複数の地震計を設置しなければ震源の特定は困難で、大正大噴火時の鹿児島市内の測候所に地震計が一台しか無い状態では震源の特定は困難であるのは明らかであり、しかも火山性地震が噴火に結びつかない事例も多いため、当時、噴火の予知は困難であったと測候所の対応を擁護する意見がある一方、測候所が「噴火は無い」と言明し続けた以上、噴火が無いという形での予知を行ったことになり、測候所の弁明や弁護は無責任で理解しがたいとの意見がある。
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