清洲同盟から三河国平定とは? わかりやすく解説

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清洲同盟から三河国平定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 11:18 UTC 版)

徳川家康」の記事における「清洲同盟から三河国平定」の解説

永禄3年1560年5月桶狭間の戦い先鋒任され大高城鵜殿長照城中兵糧足りないことを義元訴えたため、義元から兵糧補給命じられた。しかし織田軍は大高城包囲しており、兵糧運び込むには包囲突破する必要があった。そこで5月18日鷲津砦丸根砦の間を突破して小荷駄城中送り込み全軍無事に引上げた。翌19日丸根の砦を攻め落とし朝比奈泰能鷲津の砦を攻め落とした義元織田信長討たれた際、大高城休息であった元康は、大高城から撤退松平家菩提寺である大樹寺駐屯し住職登誉天室相談の上今川方が危険を感じ撤収した後の岡崎城に入ると独自の軍事行動をとり、今川からの独立果たそうとする。また桶狭間の戦い直後から、元康今川織田両氏に対して軍事行動を行う両面作戦行ったとする説もある。さらに近年新説として、桶狭間での勝利乗じた織田軍の三河侵攻警戒した今川氏真がこれに備えるために元康岡崎城帰還許したとする説も出されている。 永禄4年1561年2月元康将軍足利義輝に嵐鹿毛よばれる駿馬献上して室町幕府との直接的な関係を築くことで、独立した領主として幕府承認取り付けようとしている。4月元康東三河における今川方の拠点であった牛久保城攻撃今川氏からの自立意思明確にした。 折しも今川氏盟友であった武田信玄北条氏康は、関東管領上杉憲政奉じ長尾景虎上杉謙信)の関東出兵小田原城の戦い)への対応に追われており、武田北条からの援軍は来ないという判断があったとされるまた、桶狭間の戦い直後三河今川方をまとめて織田方の侵攻対峙していた元康三河への軍事的支援後回しにして同盟国武田北条支援に動く氏真に失望して援軍得られないまま織田氏抵抗続けるよりも織田氏結んで独立図った方が領国維持の上得策判断したとする見方もある。この事態義元の後を継いだ今川氏真には痛恨事態であり、後々まで「松平蔵人逆心」「三州錯乱」などと記して憤り見せている。その後元康藤波畷の戦いなどに勝利して西三河諸城攻略する永禄4年1561年先に今川氏見限り織田氏同盟結んだ伯父水野信元仲介もあって、信長和睦し今川氏断交して信長同盟結んだ清洲同盟)(『史料総覧巻10)。同年4月西三河今川氏との戦い開始された。 永禄5年1562年)には、家康信長会って会談し同盟確認をして関係を固めている。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}一方将軍足利義輝北条氏康松平今川両氏和睦を図るが実現しなかった。[要出典] 永禄6年1563年)には、義元からの偏諱である「元」の字を返上して元康から家康と名を改めた。「家」を選んだ理由は明確ではないが、菊地浩之於大の方再婚相手である久松俊勝が「長家」と名乗っていた時期があることを指摘し久松長家(俊勝)を父親代わりみなしてその偏諱用いたが、家光以後に「家」の通字徳川将軍家として重要になり、由来隠したとする説を唱えている。同年3月には、同盟の証として嫡男竹千代信康)と信長・娘五徳との婚約結ばれる永禄7年1564年)、三河一向一揆勃発するも、苦心の末にこれを鎮圧。こうして岡崎周辺の不安要素取り払うと、対今川氏戦略推し進めた東三河戸田氏西郷氏といった土豪抱き込みながら、軍勢東へ進めて鵜殿氏のような敵対勢力排除していった。遠江国発生した国衆反乱遠州忩劇)の影響三河国への対応に遅れる今川氏との間で宝飯郡主戦場とした攻防戦繰り広げた後、永禄9年1566年)までには東三河奥三河三河国北部)を平定し三河国統一したこの際家康は、西三河衆(旗頭:石川家成(後に石川数正))・東三河衆(旗頭:酒井忠次)・旗本三備の制への軍制改正行い旗本には旗本先手役新たに置いた

※この「清洲同盟から三河国平定」の解説は、「徳川家康」の解説の一部です。
「清洲同盟から三河国平定」を含む「徳川家康」の記事については、「徳川家康」の概要を参照ください。

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