清洲以東の開通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 02:24 UTC 版)
「名古屋第二環状自動車道」の記事における「清洲以東の開通」の解説
一方で陸上区間専用部は、清洲東ICより東側の区間が順次延伸され、1993年(平成5年)12月には名古屋IC - 名古屋西JCTの全線開通をみた。なお、一部インターチェンジについては事情により開設が遅れ、1995年(平成7年)までに供用されている。 名古屋ICにおける東名高速道路との連結は、単に名古屋都市圏の環状高速道路が延伸したという意味を超えて、東名高速と三重県が初めて高速道路で直結し、さらに東名、名神のバイパス(東名阪自動車道と国道25号名阪国道、西名阪自動車道経由)が完成したことでもあった。この結果、東名高速と東名阪自動車道を行き交う交通は従来の愛知県道60号名古屋長久手線(広小路通・東山通)、あるいは国道23号(名四国道)と国道1号の乗り継ぎによる連絡(東名高速の岡崎IC利用)から環状2号専用部に転換した。これにより東名阪自動車道の名古屋西IC以西の交通量が4倍に増え、逆に東名、名神の名古屋IC - 一宮IC間の交通量が大幅に減少した。なお、東名、名神の名阪間におけるバイパスルートの役割が環状2号専用部に付加されたことで、本来は名古屋都市圏における交通処理を使命とする当該道路は、暫定的に長距離連絡路線としての役割を持つことになった。このため、長距離交通の利用を想定した休憩施設が導入されることになり、内回り方向のみで名古屋IC料金所後方に駐車スペース8台分を持つトイレが設置された。 .mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 名古屋IC - 勝川IC間開通に伴う整備効果を示した図。上図は東名阪道(三重県)沿線と中央道沿線、下図は東名阪道沿線と東名沿線の交通流動(図中の赤線部分)を開通前と開通後で比較したもの。ここで示した交通は名古屋市内に用が無い通過交通である。通過交通が都心部に与える悪影響が環状2号専用部の名古屋IC連結によって緩和されている。図典拠:『高速道路と自動車』第38巻第11号(1995年11月)、31-36頁。 東名阪自動車道沿線と東名高速沿線間以上に多い利用パターンが、東名阪自動車道沿線と中央自動車道沿線間の相互利用である。従来こうした交通は、名古屋市内を走る重要幹線(国道1号、国道23号、国道19号、国道22号、愛知県道60号名古屋長久手線)を通過することで慢性的な渋滞を引き起こしていた。それも今回開通により環状2号専用部で勝川IC、国道19号、春日井IC経由、あるいは名古屋IC経由で中央道に連絡するルートに代わったことで、市内一般道路の渋滞緩和に寄与し、環状道路の使命の一つ、「通過交通の排除」が如実に現れた。 なお、今回の名古屋IC連結によって、三重県と東名高速を結ぶ交通が環状2号専用部に転換したことによる副次的効果として、国道23号名四国道の慢性的な渋滞が幾分緩和された。名四国道は日交通量が10万台に及ぶと同時に、大型車の混入率も45パーセントと非常に高く、中部圏の経済を支える物流動脈としての役割を担っている。だが、これによって酷使された道路は傷みが激しく、路面が変形、陥没するなどの劣化が目に見えて現れることになった。抜本的補修のための通行止めは経済に与える影響が大きいことからこれまでは部分補修で対応したが、もはやそれではまかないきれないレベルまで劣化が進行したことで、環状2号専用部の東名直結の機会を捉えて床板打換えを含む大規模リフレッシュ工事が断行されている。 ところで、整備計画路線の全線開通を見た1993年(平成5年)時点では、上社以南の区間については事業主体および建設計画も含めて全く未定であった。その前年の1992年(平成4年)には名古屋市長が上社 - 大高間の日本道路公団による建設を国に陳情しており、動きは見られた。これは1996年(平成年)12月開催の第30回国幹審で基本計画路線となった。基本計画路線と認定されるにはその前に予定路線として認定される必要があるが、これは既決定の近畿自動車道名古屋大阪線を予定路線と位置づけることで対応した。1998年(平成10年)12月の第31回国幹審では整備計画路線に格上げとなり、高針JCTまでが2003年(平成15年)3月に、名古屋南JCTまでが2011年(平成23年)3月に開通した。この時、名古屋南JCTで伊勢湾岸自動車道と接続する際に名称が東名阪自動車道のままだと豊田・静岡方面から伊勢・京都方面に向かう車が誤って進入する恐れがあるため、名称を名古屋第二環状自動車道(名二環)に変更した。そして今回開通による効果も環状道路の迂回機能を存分に発揮することになった。それも2004年(平成16年)12月に東名と東名阪を連結した伊勢湾岸自動車道と名古屋南JCTで連絡することにより、名二環のこうした効果はより効率的に発揮された。その結果は、名古屋高速3号大高線、東名高速道路豊田JCT - 名古屋IC間の渋滞緩和となって現れ、具体例として知多半島道路沿道と名古屋都心部、岐阜方面を結ぶ交通は名古屋高速経由から名二環経由に転換することで都市高速の渋滞緩和に寄与し、環状道路の高い効率性が改めて立証されている。
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