清洲東IC - 名古屋西JCT間の開通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 02:24 UTC 版)
「名古屋第二環状自動車道」の記事における「清洲東IC - 名古屋西JCT間の開通」の解説
陸上区間の開通当初はその路線名を東名阪自動車道と称し、既設の東名阪自動車道を東側に延伸する形で清洲東IC - 名古屋西JCT間が先行開業した。しかし、同じ東名阪自動車道の名古屋西JCT - 亀山IC間とは異なり、名古屋西JCT - 亀山IC間が長距離連絡路線の役割を持つのに対し、名古屋西JCT以東の区間では環状道路としての機能が要求された。そのため、名古屋西JCT以東の区間では各インターチェンジで幾多の放射道路と接続することからインターチェンジ間隔も短くなり、加えて都心ゆえ用地の制約もあって入口は上下別々とされた。また、料金収受は名古屋高速と同じく入口徴収する単純支払い方式、出口はフリーとなるなど先の名古屋西JCT以西とは制度が異なり、同じ東名阪自動車道ながら別路線の様相となった。 上記の通り、今回開通の意義は、国道22号を経由して名神高速道路と間接接続することで、東名阪道と名神間の相互交通を都心部に入れないことであるが、さらにこれとは別の効果も現れた。東名高速名古屋ICで流出した交通が三重県方面に向かう際、それまで愛知県道60号名古屋長久手線(広小路通・東山通)などを経由して名古屋都心部を横断していた流れが、名神の一宮ICで流出して国道22号、環状2号専用部経由で東名阪道へ流出する流れに変わったことである。全ての交通がこの流れに転換したわけでは無いにせよ、それでも名古屋市内の車の流れは大きく変化したとされる。これは視点を変えると、環状2号専用部開通以前の名古屋市内の交通事情がいかに悪かったかを示すもので、果たして当時の市内道路は慢性的な渋滞が日常茶飯事で、信号待機による停止とも相まって時速二十キロほどでしか走行できないという酷さであった。 ただし、環状2号整備以前の名古屋都市圏にとって救いであったのは、東名、名神高速道路が名古屋市中心部を外れて、名古屋市の東側、春日井市、小牧市に大きく迂回していることであった。この形態は半ば環状道路的な機能を持っていて、東名と名神を連絡する交通を名古屋都心部に流入させない効果とともに、東名、名神と名古屋市都心部を連絡する交通が、名古屋、春日井、小牧、一宮の各インターチェンジを経由する選択肢をもっていることから、交通の一極集中を回避して分散化する効果もあった。これと対照的なのが首都圏で、東名、中央、東北、常磐の各高速道路は首都高速道路を通じてつながっているために、これらの高速道路間を行き来する交通は必ず都心を経由することから、首都高速の慢性的な渋滞を引き起こしていた。
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