清洋丸衝突事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 02:34 UTC 版)
「白露 (白露型駆逐艦)」の記事における「清洋丸衝突事故」の解説
6月15日未明、輸送船団(タンカー3隻)を護衛していた「白露」は船団中を不用意に旋回運動を行い、油槽船「清洋丸」と衝突。爆雷誘爆により約3分で沈没した。経過は以下のとおり。 「あ号作戦」発動にともない第27駆駆逐隊(時雨、白露)および駆逐艦「浜風」、「響」、「秋霜」は、第一補給部隊(日栄丸、国洋丸、清洋丸)の護衛を命じられ、6月14日にダバオを出撃して小沢機動部隊本隊との合流地点へむかった。護衛時の隊形は、第17駆逐隊「浜風」が船団先頭にあって、浜風右斜め後方1kmに「日栄丸」、浜風左斜め後方に「国洋丸」、浜風2km後方に「清洋丸」が位置し、船団右側の「日栄丸」(基準艦)と左側「国洋丸」の距離は1km、油槽船3隻は船団航行方向に対し逆三角形に配置されていた。さらに「日栄丸」右舷1.5kmに「響」、「国洋丸」左舷1.5kmに「白露」、「清洋丸」の右舷後方を「時雨」が、同船左舷後方を「秋霜」が警戒していた。6月15日午前2時40分、ミンダナオ島北東海面は『天気明暗、月齢23.7、濃雲アリテ暗黒ナリシモ12糎双眼鏡ニテ1500米迄艦影ヲ認メ得タリ』という状況であった。船団は速力14ノットを発揮していた。同時刻、「白露」(1,685トン)は米潜水艦の雷撃を回避中に船団内を横断することになり、タンカー「清洋丸」(国洋汽船・1万536トン)と衝突する。「白露」は爆雷と前部弾薬庫の誘爆により海上で炎上、2時43分〜2時47分の間に沈没した。 当時の状況について、給油船「日栄丸」の事故報告書は『白露は日栄丸の前路を右より左に横ぎり日栄、国洋の間を反転し更に清洋の前を右より左に航過せんとせりしか或はその儘反航せんと企図したるものの如く、その際清洋丸(之字運動のため右に60度変針)右に回頭せしめたため清洋丸の艦首にて衝撃せられたるなる可し』『(白露)0241ヨリ約3分間ニシテ沈没セリ 爾後約一分間海上ニ火災アリ 爆雷一個爆発セリ』と報告。以下の如くの所見を報告した。 (一) 護衛艦ハ船団ノ前路ヲ横断シ又ハ船団隊内ニ入ルベ可ラズ (二) 船團内ノ各船ハ厳格ニ正位置ヲ保持スベシ (三) 事故発生ノ際 信号ハ処置ニ必要ナルモノヲ最小限度ニ止ム可シ(不用意発光信号ヲ発スルモノアリレタメ) (四) 事故発生ノ際最近ノ護衛艦ハ令ナクシテ救助ニ當リ爾余ノ隊ハ特令ナケレバ任務ヲ続行スベシ (五) 見張ヲ厳ニシ他ノ行動ニ注意シ彼我行動ノ正否如何ニ拘ラズ不祥事ヲ起サザル様注意スベシ 「白露」の生存者は第17駆逐隊「浜風」等に救助された。「浜風」によれば、スコールを抜けたところ「白露」の姿がなく騒動となり、「浜風」は補給部隊司令官の命令により反転救助へ向かう。すると白露水雷長が投げ込んだ訓練用魚雷(魚雷頭部に発光装置がある)の明かりを発見、午前6時以降全力で救助作業を行ったという。生存者准士官以上12名、下士官兵143名(浜風報告では141名だが、清洋丸に2名救助されている)。沈没地点(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯9度10分 東経126度50分 / 北緯9.167度 東経126.833度 / 9.167; 126.833)。「日栄丸」戦闘詳報によれば事故発生地点は(北緯9度50分 東経126度56分 / 北緯9.833度 東経126.933度 / 9.833; 126.933)。または(北緯9度9分 東経126度05分 / 北緯9.150度 東経126.083度 / 9.150; 126.083)。なお「白露」と衝突した「清洋丸」は浸水被害を受けたものの重大な損傷とは見做されず、そのまま第一補給部隊としてマリアナ沖海戦に参加した。6月20日、「清洋丸」は米軍機動部隊艦載機の空襲を受け損傷し、護衛の第17駆逐隊「雪風」により雷撃処分された。 8月10日、「白露」と「春雨」は白露型駆逐艦、第27駆逐隊、帝国駆逐艦籍より除籍された。なお「白露」「春雨」除籍から間もなく、「五月雨」は8月18日にパラオ近海で座礁、26日に米潜水艦の雷撃を受けて大破・放棄された。10月10日附で除籍、「時雨」1隻のみとなった第27駆逐隊も解隊された。10隻が建造された白露型駆逐艦はこの時点で「時雨」1隻となっていた。
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