海外における活動
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1988年にはそれまでにいくつかの人力飛行機でパイロットを務めたドイツのピア・フランク(Peer Frank)によりマスキュレアーの影響を強く受けたヴェレアー(Velair)が開発され、翌1989年には改良されたヴェレアー89が完成、滑走路上で3100mの飛行に成功している。 1990年にはイギリスでエアグロー(Airglow)が飛行に成功した。1992年にはオーストラリアでスカイサイクル(Skycycle)が女性パイロットにより飛行に成功している。これらの機体はいずれもマスキュレアーやダイダロス計画の知見が利用されている。ヴェレアーとエアグローは開発後10年以上に渡り運用された。これらはそれ以前の人力飛行機とは異なり、クレーマー賞や世界記録の更新を狙った物ではない。 また、新しいクレーマー賞への挑戦やダイダロスの記録を超えることを目標にした人力飛行機も現れた。70年代のから人力飛行に挑戦していたウェイン・ブリズナー(Wayne Bliesner)が開発したマラソン・イーグル(Marathon Eagle)がクレーマー・マラソン賞を目標とし、レイヴェン(RAVEN)が後者を目標として開発が行われた。しかし、両者とも記録に挑戦したという報告はなされていない。現在でもサウサンプトン大学、ペンシルバニア州立大学などの学生チームがクレーマー賞に向けて人力飛行機の開発を行っている。 また、これまで人力飛行が行われていなかった国でも開発が行われるようになった。2008年には韓国空軍士官学校が人力飛行機の開発に着手し、翌2009年12月に290000ドルを費やした人力飛行機、スカイ・ランナー(Sky Runner)を完成させ、飛行に成功した 他、2012年からは競技会が開催されている。2009年、中国の模型飛行機製造会社OXAIが人力飛行機、MOZI(墨子)の開発に成功、翌2010年の第33回鳥人間コンテスト選手権大会に出場した。同じく2009年、オランダで人力飛行機が開発され、初飛行に成功。2012年の第35回鳥人間コンテスト選手権大会にはこの設計者が来日し、日本人ボランティアと共に製作した機体が出場した。 2012年にはイギリスで新たな人力飛行機競技会、イカロスカップが開催され、翌2013年のイカロスカップ2013は人力飛行機競技会としては初のFAI公認大会となった。
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海外における活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 04:28 UTC 版)
1968年頃からタイに渡るようになる。1973年段階では、永住ビザの申請を試みていた。1972年、チエンマイ県で多数の少女を囲い込んでいることが日本の週刊誌で報道され内外で批難にさらされる。当時のタイでは学生らによる反日運動が激化していたことも問題を複雑化させた。1973年1月8日、タイの警察が自宅に踏み込み、23歳の妻と養女にした14歳と17歳の少女、近所に住む少女ら7人といたところを連行、事情聴取を受ける。当日中に開放されたが、その後、少女を引き取るために14万バーツ(当時のレートで約200万円)が支払われていたことが明らかになり、同年1月10日、タイ当局から国外追放を受けて日本に強制送還させられた。一方、日本国内では1972年に神戸市内や福岡市内で覚せい剤を売りさばいていた男の捜査に関連して、玉本についての捜査も行われたていたが、その過程で大韓民国や香港にも妻がいることが明らかになっている。 1974年6月、玉本は裁判中の身であったが他人のパスポートを使用してタイに入国。しかし早々に身元が割れてしまい、同月14日に再びタイから国外追放処分を受け強制送還させられた。送還に当たって日本大使館の領事と面会、3人の妻と1人の子供の生活費として15万円を託した。記者団から「妻子を日本に連れていきたいか」との問いかけを受けたが、「連れて行きたくない」と答えている。 玉本は5年間の服役後、カンボジアに渡り再び多くの女性を囲い込んだ。
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