ダイダロス計画
ダイダロス計画
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ダイダロス計画
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1970年代のバード、バード2(BURD II)に始まったMITの人力飛行機開発は、1979年に複葉機のクリサリス(Chrysalis)で初飛行を達成した。そしてモナークBによるクレーマー・世界速度記録賞獲得の後の1985年、ギリシャ神話に登場する工人・ダイダロスとその息子イカロスの神話に倣ったクレタ島からギリシャ本土まで人力飛行する計画、ダイダロス計画(Daedalus project)が開始された。神話の解釈、期待しうる飛行性能、気象条件から飛行ルートが決定され、最終的にクレタ島からサントリーニ島までの約115kmを飛行する計画となった。 機体、パイロット、気象など様々な方面での約1年半に及ぶ事前研究 の後の1986年6月、ダイダロスの原型機となるミシェロブ-ライトイーグルの製作が開始された。ミシェロブ-ライトイーグルはMITの学生と教員ら18人の手によって15000時間を費やし完成され、同年10月に初飛行に成功、飛行試験を開始した。ミシェロブ-ライトイーグルを用いて操舵性能など記録挑戦に必要なさまざまな試験が行われた他、1987年1月には4つの世界記録が樹立された。ミシェロブ-ライトイーグルは優秀な機体であったが、それでもまだ計画に必要な飛行距離、飛行時間を達成するためには必要出力が大きすぎた。ミシェロブ-ライトイーグルで得られた知見を基に、必要出力を低減した記録機、ダイダロスが製作された。ダイダロスは改良された新翼型DAEシリーズの採用や構造、材料の改良などによりミシェロブ-ライトイーグルから10kg近い軽量化を達成した。 一機目のダイダロス、ダイダロス87(当初はダイダロスAと呼ばれていた)は試験飛行において非公式ではあるが、ゴッサマー・アルバトロスの記録を超える飛行も成功させ、記録飛行への準備を整えていった。またダイダロスAの試験飛行の間に二機目のダイダロス、ダイダロス88(当初はダイダロスBと呼ばれていた)の製作も続けられた。 1988年2月、試験飛行中にダイダロス87は墜落、搭乗していたパイロットは無事であったが機体は激しく破損した。その11日後、ダイダロス88が試験飛行に移行し、入れ替わりにダイダロス87の修復が開始された。3月下旬、修復を終えたダイダロス87、試作機のミシェロブ-ライトイーグルと共に記録挑戦機、ダイダロス88はギリシャに輸送された。 ギリシャ到着後、飛行準備が整ってからおよそ3週間、飛行に適した気象条件を待ち続けた。そして気象条件が整った4月23日、ロサンゼルスオリンピック自転車競技ギリシャ代表のカネロス・カネロプーロスの搭乗でクレタ島イラクリオンからサントリーニ島までの飛行に挑戦した。およそ4時間、エーゲ海を飛行した後、サントリーニ島到達目前まで飛行を続けた。ダイダロス88は強風下の着陸の為に風と正対する方向となるサントリーニ島の海岸に対し平行に針路をとったところ、海岸の砂浜で温められた風を受け、主翼および後部胴体が捻れて折損、サントリーニ島の地に届くことなく海岸から約9m手前の海面に墜落、着水した。この飛行により直線飛行距離115.11km、滞空時間3時間54分59秒の世界記録が樹立された。なお、墜落時点でもパイロットは余力を残し、エネルギー補給ドリンクも1/3ほど残っていたため、少なくともあと2時間、天候が穏やかであれば更に3〜4時間程度の飛行すら可能であったとされる。
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