法令の上諭
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法令のうち重要なものは条文の前に上諭を付けて公布した。上諭には御名御璽の後、大臣が副署した。公布は官報を以って行った。上諭を附す法令には次のようなものがあった。 帝国憲法は、1889年の発布時に上諭を付し、その上諭は御名御璽の後、内閣総理大臣が枢密院議長や他の国務各大臣とともに副署した。1907年公式令制定により、帝国憲法改正の上諭には枢密顧問の諮詢と帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た旨を記載し、内閣総理大臣が他の国務各大臣とともに副署することになった。1946年日本国憲法公布の上諭はこの形式を備えている。 皇室典範は、1889年の制定当初、上諭に御名御璽があるだけで大臣副署がなく、その公布も命じらなかった。同年公刊された伊藤博文著「皇室典範義解」は皇室典範を皇室の家法として位置づけていたが、1905年の伊藤博文上奏「公式令草案」は皇室典範を憲法と並ぶ国家の基本法として位置づけ直し、皇室典範は憲法を変更しない範囲内で法律を凌駕する効力を有するものとした。1907年の公式令制定により、皇室典範の改正が公布されることになり、その上諭には皇族会議と枢密顧問の諮詢を経た旨を記載し、御名御璽の後、宮内大臣が国務各大臣とともに副署することになった。 皇室令は、その上諭に御名御璽の後、宮内大臣が単独で副署するか、国務大臣の職務に関連する場合は内閣総理大臣とともに副署するか、あるいは内閣総理大臣と主任の国務大臣とともに副署するかした。皇室令は公式令制定とともに新設された法形式であった。皇室典範に基づく諸規則、宮内官制、その他皇室事務に関し勅定を経た規程のうち発表を要するものを皇室令とした、 法律は、その上諭に、帝国議会の協賛を経た旨を記載し、御名御璽の後、総理大臣が単独で副署するか、他の国務各大臣とともに副署するか、主任の国務大臣とともに副署するかした。法律は1885年の公文式で勅令とともに設けられた法形式であるが、1890年帝国憲法施行まで法律と勅令の区別は名称だけの区別にすぎず、法的意義のある区別でなかった。帝国憲法施行により、法律は帝国議会の協賛を経ることを要することになった。政府より提出する法律案は、内閣で議定した後に天皇の勅裁を得て、内閣総理大臣と主任大臣が連署して勅旨を奉じて帝国議会両院のいずれかに提出した。天皇は法律を裁可し、その公布と執行を命じた。 勅令は、その上諭に、御名御璽の後、総理大臣が単独で副署するか、他の国務各大臣とともに副署するか、主任の国務大臣とともに副署するかした。1907年公式令制定より前は勅令の上諭に総理大臣以外の国務大臣が単独で副署することもできたが、公式令制定以降は総理大臣が必ず副署するようになった。また、以下の勅令はその旨を上諭に記載することになった。枢密顧問の諮詢を経た勅令(重要ナル勅令)、 貴族院の諮詢や議決を経た勅令(華族ノ特権ニ関ル条規、貴族院令改正増補)、 帝国憲法第8条第1項による勅令(緊急勅令)、 帝国憲法第70条第1項による勅令(緊急財政処分)、以上。 国際条約を発表する時は上諭を付して公布し、その上諭には枢密顧問の諮詢を経た旨を記載し、御名御璽の後、総理大臣が主任の国務大臣(外務大臣)とともに副署した。 予算と予算外国庫負担は、その上諭に帝国議会の協賛を経た旨を記載し、御名御璽の後、総理大臣が主任の国務大臣(大蔵大臣)とともに副署した。予算とは、会計年度の歳出歳入を予定し、その制限内に行政機関を準拠させるものであった。本項目では予算を便宜上法令に分類したが、当時は、予算を法律や勅令と見なすのは妥当ではなく、予算は予算としてそれ自体が一種の公文であるのは慣例の認めるところであるとされた。予算外国庫負担は公式令で「予算外国庫ノ負担トナルヘキ契約ヲ為スノ件」といい、これは一会計年度に限られる予算の外にあって会計年度をまたいで国庫の負担となるような補助・保証・その他の契約を締結するときに帝国議会の協賛を求める文書であった。 軍令は、軍の統帥に関し勅定を経た規定であり、そのうち「公示」を要するのは上諭を付し、その上諭には、御名御璽の後、陸軍大臣と海軍大臣が単独または共同して副署した。軍令は、大元帥としての天皇の命令であるから軍隊に対してのみ効力を持ち、また、統帥に関する規定であるから統帥大権の作用に限られ国務上の大権に関わらないといわれた。 以上の法令につき、一つの法令の中でどの部分を詔勅と見なすかという点については、その上諭のみを詔勅を見なすこともあれば、法令それ自体を詔勅と見なすこともあった。この違いは天皇機関説事件のとき問題になった。美濃部達吉は検事の取り調べをうけたとき、法令それ自体を詔勅と見なすべきであると主張して次のように供述した。帝国憲法第55条第2項の「法律勅令其ノ他国務ニ関スル詔勅ハ」という規定は法律勅令を「国務ニ関スル詔勅」の代表的事例と見る趣旨である。法律勅令のうち上諭のみを詔勅と解すべきではない。詔勅の本体は法律勅令の本文であり、上諭はその前文である。上諭自体も詔勅であるが、法律勅令は上諭と一体をなして詔勅と見るのが妥当である。予算や予算国庫負担についても同様である、と。以上の供述について、美濃部の弟子の宮澤俊義は、法律や勅令も「国務ニ関スル詔勅」の性格をもっていたという説明は美濃部独特のものであり、取り調べの検事たちにおそらくかなりの違和感を与えたと推測している。
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