歴史用語としての「王家」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 07:40 UTC 版)
「権門体制」の記事における「歴史用語としての「王家」」の解説
黒田は中世の皇室について、公家・武家・寺家と呼応する学術用語として、「王家」を採用した。 1977年の著書『現実の中の歴史学』、1980年の「歴史読本」への寄稿などにおいて、中世で天皇の一族を指す語として「王家」「王氏」が用いられること、また「天皇家」や「皇室」といった用語は明治以後の近代国家権力によって使われた用語であり(実際は、「皇室」は『続日本紀』(797年)で使用された例があり、中世の史料にも散見される用語である)、それは万世一系の意味を込めた近代天皇制によるイデオロギー的な見方で学術的中立性を堅持する上で不適切であり、そのようなイメージを脱構築するために「王家」という言葉が適当であると主張した。黒田は中世の皇室を公家・武家・寺家と相互補完の関係を持つ一つの権門として位置づけており、こうした権門体制論の構想における学術用語として「王家」を採用した。 中世の「王家」について黒田は以下のような概念を示している。 旧『皇室典範』の「皇室」のように天皇を家長としてその監督のもとにある一箇の家を意味するのではなく、いくつもの自立的な権門(院・宮)を包含する一つの家系の総称であったと、私は考えている。 ただし、このような黒田の意味する「王家」と、史料にみられる「王家」とは一致しないことも多く、遠藤基郎はこのような「王家」論というものは、院政期・鎌倉期を扱う研究の際の「方言」のような言葉であると解説している。 このような黒田の「王家」提唱に対して奥野高廣から批判がなされ、1981年から1982年にかけて論争となった。奥野は「皇家」「朝家」が中世において「皇室」をさす言葉として使用されていたことを示して反論。それに対して黒田は「皇家」と「王家」は語義的にほぼ同じであるが、「皇」の字にこだわるのは、 天皇に諸外国一般の「国王」以上の特別の意味を持たせたい意図によるものだとし、「王家」が適当であることを主張した。なお、中世における史料『保元物語』『平治物語』『陸奥話記』『将門記』『平家物語』『源平盛衰記』に「王家」の記載はなく、「皇室」「皇居」「皇化」「朝家」「君朝」「天皇」などの表記は見られる。 『神皇正統記』では「王家之権」という熟語として「王家」の文字が2件見られるが、「天皇」は100件以上、他にも「皇家」「皇宮」「皇祖」「皇統」など多数の「皇」の記載が見られる。 このような経緯を経て、1993年から伴瀬明美が「王家」と表記したいくつかの論文を発表した後、「王家」表記を使用する研究が増加したと言われる。 しかし、その伴瀬明美は、その後、天皇を輩出する家である事が、この家のアイデンティティーであるとして「天皇家」の呼称がやはり適切であるとし、「天皇家」と表記した論文を執筆するようになり、岡野友彦は「王家」では白川王氏などとの混乱を招く恐れもあるため避けるべき用語とし、また黒田の「王家」の意味からすると史料表記からも「院宮家」が適切であると指摘しており、これに遠藤基郎も同意を示している。所功は王家は白川伯王家の別称として用いるものであり左翼的な学者の中に皇室に対して使用するものがあるとしており、大辞泉でも白川伯王家を示す言葉として紹介されている。学術的には「鎌倉殿の王権」のように「王」の対象は様々であり、それ故に「徳川家」「天皇家」と固有名詞が使われるものであり、このことから網野善彦は「王家領荘園」とは表記せず「天皇家領」と表記することに拘り続けている。その一方で、これまでの「王家」の定義自体にも問題があるとする立場から、再定義や定義の厳密化を求める考えもある。栗山圭子はあくまで「王家」の主は天皇ではなく院(太上天皇)と国母の夫婦であり、「王家」を皇室全体ではなく院の地位の嫡系継承を志向する特定の家(院と国母およびその子女)に限定すべきであるとする。佐伯智広も"後三条天皇の男系男女子(養子女を含む)及び男子の配偶者の女性で構成される親族集団"と定義して、学術的には"後三条天皇による親政を上限、煕仁親王(伏見天皇)立太子による「大覚寺統」「持明院統」の成立を下限"とする期間(1068年-1275年)に限定して用いるべきであるとする。また、佐伯は別の論文で当時の記録には院・女院・天皇などの各成員に関する記述は頻出するものの、後三条天皇以降に新たに現出した天皇の父系親族集団(その集団には白川伯王家や出家・臣籍降下した者は含まれない)全体を指す呼称は少なく、そのうちの主たるものが「王家」であったとする。他にも「天皇家王権」と表記する学者などもおり、このような状況から「研究者の自覚的な用語選択の態度が示されるべき」とも言われ、当時の皇室の呼称についての学術的な定説は未だ存在していない。
※この「歴史用語としての「王家」」の解説は、「権門体制」の解説の一部です。
「歴史用語としての「王家」」を含む「権門体制」の記事については、「権門体制」の概要を参照ください。
- 歴史用語としての「王家」のページへのリンク