歴史用語としての「穎」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 15:42 UTC 版)
日本の歴史用語としての穎(えい/かい)とは、穀物から茎を除いて穂だけの状態を指した。律令制の税の1つである租は稲の穂、すなわち穎稲の形で納税された他、出挙の出納も穎稲によって実施された。なお、粟に関しても穎粟(えいぞく)と呼ばれていた。 中世に入り、租税を穎稲の代わりに銭で納める代銭納が行われるようになると、その銭を穎銭(えいせん)あるいは単に穎と呼ばれるようになった。室町時代後期以後、関東地方を中心として明銭である永楽通宝が流通するようになると、代銭納などの納税も永楽通宝で行われるようになると、永楽通宝の略称である「永」と穎銭の略称である「穎」が同じ発音であったことから混同され、「穎銭」「穎」を「永銭」「永」とも表記するようになった。
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