歴史用語としての「供給」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 02:09 UTC 版)
「需要と供給」の記事における「歴史用語としての「供給」」の解説
近代以前において「供給」という言葉は、漢語では「くごう/ぐきゅう」、和訓では「たてまつりもの」(『類聚名義抄』)と呼ばれていた。 「供給」という言葉は元々は隋・唐の律令用語で律令とともに日本にもたらされた。現代経済学においては、特定の物資を不特定多数に提供することを「供給」と呼ぶが、この場合には「食料及びそれに準じる物」を特定の相手に提供することを指して「供給」と称した。すなわち、公的な目的をもった使者やそれに準じる使者・客人(荘園領主が現地に派遣する使者など)に対して通過する地域において食料を提供し、付随して使者が必要とする物資など(休憩・宿泊する宿駅や交代の馬匹など)も合わせて供給した。また、こうした使者や客人が目的地に到着(落付)した際に現地の人たちが3夜連続で飲食や贈物などをもって接待して無事な到着を祝う三日厨という行事も行われたが、その際に提供された飲食や贈物及び接待そのものを「供給」と呼んだ。 なお、中世の荘園・公領においては、供給に必要な食料や人夫は雑公事及び夫役として現地の在地領主及び名主百姓の負担とされていた。
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