武藤敬司体制とは? わかりやすく解説

武藤敬司体制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:40 UTC 版)

全日本プロレス」の記事における「武藤敬司体制」の解説

武藤敬司含めた選手4名の移籍 2002年2月26日新日本退団した武藤小島聡ケンドー・カシンWWF(現:WWE)を退団したカズ・ハヤシ移籍。 パッケージプロレスの浸透 武藤社長就任直後は、三沢社長時代同様に株式譲渡無く再びオーナーサラリーマン社長という形での軋轢生じたその後、渕とレフェリー和田生え抜き役員武藤側に回り渕・川田・和田の連名武藤への株式譲渡懇願書を元子提出した武藤には無償株式譲渡され元子オーナー退き事務所六本木から移転したシリーズ興行定番タイトルだった「ジャイアント・シリーズ」などを変更WWEエージェント行っているジョニー・エースとの繋がりで、ジャマールWWE解雇されレスラー多く参戦して全日本伝統でもある「日本人選手対外国人選手」を受け継ぎつつ「明るく楽しく激しく新しい」プロレスをメインコンセプトに馬場全日本カラーだった「王道プロレス」に代わる「パッケージプロレス」を提唱実践していることが武藤全日本特徴であった通常の興行は、橋本真也率いプロレスリングZERO-ONEとの団体対抗戦後、TAKAみちのく率いる「RO&D」が参戦その後TARU率いる「VOODOO-MURDERS」や、佐々木健介中嶋勝彦の「健介ファミリー」、鈴木みのるNOSAWA論外MAZADATAKEMURA高山善廣ケア加えたGURENTAI」の定期参戦、元大阪プロレス菊タロー大相撲64横綱の曙らの参戦により、新たなファン層獲得にも成功する。 特別興行では、2002年6月9日A BATHING APEとのコラボレーションによる「BAPE STA!!PRO-WRESTLING」をZEPP TOKYO開催普段見られない覆面レスラー多数登場した好評につき2003年2004年にはツアーとして開催2008年12月23日に約4年ぶりに開催。またファン感謝デー毎年6月10日開催される武藤祭」は非常に好評で、プロレスラーお笑い芸人タッグ組んで争われるF-1タッグ王座など、ファン楽しんでもらえることを中心に構成されていた。さらに、武藤司会務めていた番組武藤敬司☆SHOW」がきっかけで、対談した船木誠勝らが興行に関わったり、同じく対談した夏目ナナプロデュース興行や、吉沢明歩らが参加したセクシー女優とのコラボ興行開催した2002年11月17日石井和義館長率い株式会社ケイ・ワン協賛で、プロレスDynamite!として「ファンタジーファイトWRESTLE-1」を横浜アリーナ開催第2弾2003年1月19日東京ドーム開催武藤は「WRESTLE-1」の世界を「ファンタジーファイト」と表現したちなみにこの興行フジテレビプライムタイム放送したが、サブタイトルは「ボブ・サップのプロレスエンターテインメントショー」と銘打たれプロレス中継というよりは当時人気だったサップ中心とした番組として放送された。 江崎グリコプロダクトマネージャーで、全日本のコンディショニングコーチを務めていた桑原弘樹ゴールドジム協力によるプロレスラー流のトレーニング方法や、サプリメントなどの栄養学参加者公開する武藤塾毎年開催しており、番外編として年に1度新人オーディション開催していた。 日本武道館撤退 かつて全日本主要大会と言えば日本武道館大会だったが、2004年2月22日最後に撤退した代わりに代々木第二体育館加え、年1〜2回行われた両国国技館での興行プロレスLOVE in 両国」では、プロレス界で初の試みとなる複数企業から出資金募り1つイベント作り上げる製作委員会方式開催された。 地上波テレビ中継獲得 2004年4月テレビ東京で約4年ぶりとなるテレビ中継番組プロレスLOVE 〜夜のシャイニング・インパクト〜」が開始された。2005年3月以降は、両国大会のみ放映2007年4月6日、「全日本プロレス マザー」がGAORAからの映像供による放送千葉テレビ開始その後岐阜京都神奈川でも放送された。また、地上波以外での全国規模中継ではGAORA毎週1回土曜日更新生中継や再放映有り)で録画中継している他、FIGHTING TV サムライでも随時中継している。GAORA中継においてはFIGHTING TV サムライ協力取り付けている。 VOODOO-MURDERS不祥事 2011年5月29日スーパーヘイト試合後に嘔吐昏倒したため病院搬送され急性硬膜下血腫」の診断を受け緊急手術が行われた。5月31日VOODOO-MURDERSリーダーTARUが、試合当日ビジネス上で口論からスーパーヘイトを数発殴打した事を自ら会社申告した6月1日TARU無期限出場自粛発表すると共にTARUスーパーヘイト殴打したとき控え室居た河野真幸、稔、MAZADA無期限出場停止処分VOODOO-MURDERS解散発表された。 6月7日一連の事件責任取り武藤社長辞任し選手取締役としては留任)、取締役内田雅之第7代社長に就任6月19日和田京平レフェリー退団した。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}武藤早急に謝罪会見を開かなかった事を批判したところ「会社の裏切り」と見なされ武藤から退団するよう求められたという。[要出典]

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