武藤敬司体制
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武藤敬司を含めた選手4名の移籍 2002年2月26日、新日本を退団した武藤、小島聡、ケンドー・カシン、WWF(現:WWE)を退団したカズ・ハヤシが移籍。 パッケージプロレスの浸透 武藤の社長就任直後は、三沢社長時代と同様に株式譲渡が無く再びオーナーとサラリーマン社長という形での軋轢が生じた。その後、渕とレフェリーの和田ら生え抜き役員が武藤側に回り、渕・川田・和田の連名で武藤への株式譲渡懇願書を元子に提出した。武藤には無償で株式が譲渡され、元子はオーナーを退き事務所を六本木から移転した。シリーズ興行の定番タイトルだった「ジャイアント・シリーズ」などを変更、WWEでエージェントを行っているジョニー・エースとの繋がりで、ジャマールらWWEを解雇されたレスラーが多く参戦して全日本の伝統でもある「日本人選手対外国人選手」を受け継ぎつつ「明るく、楽しく、激しく、新しい」プロレスをメインコンセプトに馬場全日本のカラーだった「王道プロレス」に代わる「パッケージプロレス」を提唱、実践していることが武藤全日本の特徴であった。 通常の興行は、橋本真也が率いるプロレスリングZERO-ONEとの団体対抗戦後、TAKAみちのくが率いる「RO&D」が参戦。その後、TARUが率いる「VOODOO-MURDERS」や、佐々木健介・中嶋勝彦の「健介ファミリー」、鈴木みのる・NOSAWA論外・MAZADA・TAKEMURA・高山善廣にケアを加えた「GURENTAI」の定期参戦、元大阪プロレスの菊タロー、大相撲第64代横綱の曙らの参戦により、新たなファン層の獲得にも成功する。 特別興行では、2002年6月9日にA BATHING APEとのコラボレーションによる「BAPE STA!!PRO-WRESTLING」をZEPP TOKYOで開催。普段は見られない覆面レスラーが多数登場した。好評につき2003年と2004年にはツアーとして開催。2008年12月23日に約4年ぶりに開催。またファン感謝デーや毎年6月10日に開催される「武藤祭」は非常に好評で、プロレスラーとお笑い芸人がタッグを組んで争われるF-1タッグ王座など、ファンに楽しんでもらえることを中心に構成されていた。さらに、武藤が司会を務めていた番組「武藤敬司☆SHOW」がきっかけで、対談した船木誠勝らが興行に関わったり、同じく対談した夏目ナナのプロデュース興行や、吉沢明歩らが参加したセクシー女優とのコラボ興行を開催した。 2002年11月17日、石井和義館長が率いる株式会社ケイ・ワンと協賛で、プロレス版Dynamite!として「ファンタジーファイトWRESTLE-1」を横浜アリーナで開催。第2弾は2003年1月19日に東京ドームで開催。武藤は「WRESTLE-1」の世界を「ファンタジーファイト」と表現した。ちなみにこの興行をフジテレビがプライムタイムで放送したが、サブタイトルは「ボブ・サップのプロレスエンターテインメントショー」と銘打たれ、プロレス中継というよりは当時人気だったサップを中心とした番組として放送された。 江崎グリコのプロダクトマネージャーで、全日本のコンディショニングコーチを務めていた桑原弘樹とゴールドジムの協力によるプロレスラー流のトレーニング方法や、サプリメントなどの栄養学を参加者に公開する武藤塾を毎年開催しており、番外編として年に1度新人オーディションを開催していた。 日本武道館の撤退 かつて全日本の主要大会と言えば日本武道館大会だったが、2004年2月22日を最後に撤退した。代わりに代々木第二体育館に加え、年1〜2回行われた両国国技館での興行「プロレスLOVE in 両国」では、プロレス界で初の試みとなる複数の企業から出資金を募り、1つのイベントを作り上げる製作委員会方式で開催された。 地上波テレビ中継の獲得 2004年4月、テレビ東京で約4年ぶりとなるテレビ中継番組「プロレスLOVE 〜夜のシャイニング・インパクト〜」が開始された。2005年3月以降は、両国大会のみ放映。 2007年4月6日、「全日本プロレス マザー」がGAORAからの映像提供による放送で千葉テレビで開始。その後、岐阜・京都・神奈川でも放送された。また、地上波以外での全国規模の中継ではGAORAが毎週1回、土曜日更新(生中継や再放映有り)で録画中継している他、FIGHTING TV サムライでも随時中継している。GAORAの中継においてはFIGHTING TV サムライの協力を取り付けている。 VOODOO-MURDERSの不祥事 2011年5月29日、スーパーヘイトが試合後に嘔吐・昏倒したため病院に搬送され「急性硬膜下血腫」の診断を受け緊急手術が行われた。5月31日、VOODOO-MURDERSのリーダーのTARUが、試合当日にビジネス上での口論からスーパーヘイトを数発殴打した事を自ら会社に申告した。6月1日、TARUの無期限出場自粛を発表すると共にTARUがスーパーヘイトを殴打したとき控え室に居た河野真幸、稔、MAZADAの無期限出場停止処分とVOODOO-MURDERSの解散が発表された。 6月7日、一連の事件の責任を取り武藤が社長を辞任し(選手兼取締役としては留任)、取締役の内田雅之が第7代社長に就任。 6月19日、和田京平レフェリーが退団した。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}武藤が早急に謝罪会見を開かなかった事を批判したところ「会社への裏切り」と見なされ武藤から退団するよう求められたという。[要出典]
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