櫻井家住宅(島根県仁多郡仁多町上阿井)
名称: | 櫻井家住宅(島根県仁多郡仁多町上阿井) |
ふりがな: | さくらいけじゅうたく |
名称(棟): | 主屋 |
名称(ふりがな): | おもや |
番号: | 2429 |
種別1: | 近世以前/民家 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 2003.05.30(平成15.05.30) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 島根県 |
都道府県: | 島根県仁多郡奥出雲町上阿井1655 |
所有者名: | |
指定基準: | (一)意匠的に優秀なもの (五)流派的又は地方的特色において顕著なもの |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 居室部 桁行27.0m、梁間19.0m、一部二階、切妻造段違、南面庇付、 東面下屋附属、こけら葺、桟瓦葺及び鉄板葺、 東面突出部 桁行6.3m、梁間4.9m、切妻造、南面及び東面庇付、 北面下屋附属、鉄板葺 座敷部 桁行10.6m、梁間7.3m、切妻造、南面、北面及び東面庇付、 桟瓦葺及びこけら葺、 北面突出部 桁行6.6m、梁間4.4m、南面入母屋造、北面切妻造、 こけら葺、南面仕切塀及び外便所附属 |
時代区分: | 江戸中期 |
年代: | 元文3(1738) |
解説文: | 櫻井家住宅は,島根県東部仁多町の南端部の山間にある。 江戸前期に屋号を「可部屋」と称して鉄山業を営み,宝暦5年(1755)には鉄師株仲間の代表である鉄師頭取を松江藩より拝命し,鉄山業を取り仕切った。 主屋は元文3年(1738)の竣工,古蔵が少し前の享保20年(1735)の建設,その他の建物は主屋より遅れて順次建造された。主屋に接続する座敷は,藩主御成が行われるようになった19世紀初期の増築である。 櫻井家住宅は,近世におけるたたら製鉄の中心地奥出雲にあって,狭隘な谷間に鉄師頭取の屋敷構え全体を伝える遺構として貴重である。 主屋は,この地方の民家のなかでもひときわ大型で,上質なつくりになり,保存も良好である。御成の座敷は,江戸時代後期の数寄屋風書院の好例を示している。 |
櫻井家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/23 18:05 UTC 版)
可部屋集成館・櫻井家住宅 | |
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![]() | |
所在地 | 島根県仁多郡奥出雲町上阿井1655 |
位置 | 北緯35度6分30.5秒 東経132度56分29.7秒 / 北緯35.108472度 東経132.941583度座標: 北緯35度6分30.5秒 東経132度56分29.7秒 / 北緯35.108472度 東経132.941583度 |
建築年 | 主屋:1738年(元文3年) |
文化財 |
県指定有形文化財:建物12棟等 国指定重要文化財:建物9棟等 国指定名勝:庭園 国選定重要文化的景観 |
櫻井家住宅(さくらいけじゅうたく、桜井家住宅)は、島根県仁多郡奥出雲町にある歴史的建造物。たたら製鉄で栄えた「鉄師御三家」櫻井家の旧宅。隣接する歴史資料館の可部屋集成館(かべやしゅうせいかん)が管理している[1]。
建造物群は島根県指定有形文化財に指定された後、一部が国の重要文化財に指定変更、また庭園が国の名勝に指定されている[2]。国の重要文化的景観「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」の一部としても選定されている[1]。
櫻井家住宅・庭園

たたら製鉄の歴史を伝える佇まいや、滝のある日本庭園の紅葉が見どころとされる[2][3][4][5]。
江戸時代の1738年(元文3年)に建造された主屋を中心に、蔵、金屋子神社、御成門、数寄屋風書院造の御成座敷などからなる[3][5]。歴代松江藩主の藩内巡視時の本陣宿としても使われた[2]。1803年(享和3年)茶人としても知られる松平治郷(不昧公)来訪の頃に、庭園が建造された[6]。治郷は庭園の滝を賞賛し「岩浪」(がんろう)と名付けた[7][6]。1878年(明治11年)には、日本画家の田能村直入が逗留し作品や草庵を残した[2]。
文化財
1997年(平成9年)12月26日に建造物群が島根県指定有形文化財に指定された[1][8]。
その後、これらの中で鉄山師屋敷主屋など9棟が2003年(平成15年)5月30日付けで国の重要文化財に指定された(これら9棟については同日付けで県による指定を解除、残りの県指定建造物群については2005年(平成17年)5月17日付けで名称および員数を変更)[5][8]。
2014年(平成26年)3月18日、国の重要文化的景観「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」の一部に選定された[1]。
2017年(平成29年)10月13日、庭園部分が「櫻井氏庭園」として国の名勝に指定された[9][8]。
可部屋集成館

隣接する可部屋集成館には、櫻井家に伝わる歴史資料や美術工芸品、たたら製鉄の道具が展示されている[10]。可部屋集成館は1983年に開館した[11]。
櫻井家
櫻井家は田部家・絲原家とともに奥出雲の「鉄師御三家」と称される[6]。当主は代々「櫻井三郎右衛門」を襲名する(襲名は明治以降)[11]。
戦国武将・塙団右衛門の末裔家であり、広島の可部で製鉄業を開業した後、正保元年(1645年)奥出雲に移住し「可部屋」を屋号とした[3]。以後、松江藩に鉄師として重用され名家となった[2]。21世紀現在でも当主が島根日産自動車代表取締役社長を務めるなど、名家として続いている[7][12]。
ロケ地
2023年夏、TBS系テレビドラマ『VIVANT』に、櫻井家をモデルとする名家が登場し、住宅がロケ地として使われ、来場者が急増した[12][13][14][15]。
脚注
- ^ a b c d “櫻井家住宅 - 島根まるごとミュージアム”. museum-database.shimane-u.ac.jp. 2023年9月16日閲覧。
- ^ a b c d e “櫻井家住宅 日本庭園の概要 | たたらの文化遺産 可部屋集成館”. 2023年9月16日閲覧。
- ^ a b c “奥出雲の和鉄 - たたらの歴史 - 鉄の道文化圏”. 2023年9月16日閲覧。
- ^ “櫻井家 可部屋集成舘|観光ガイド|奥出雲町公式観光ガイド”. 奥出雲町公式観光ガイド. 2023年9月16日閲覧。
- ^ a b c “国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 2023年9月16日閲覧。
- ^ a b c “鉄師御三家-奥出雲で感じる名家の威光 | 島根で紡がれるたたら製鉄の物語 | トラベルニュースat今すぐにでも出たくなる旅”. imatabi.travelnews.co.jp. 2023年9月16日閲覧。
- ^ a b “櫻井尚氏が死去 櫻井家13代当主 98歳 | 山陰中央新報デジタル”. 櫻井尚氏が死去 櫻井家13代当主 98歳 | 山陰中央新報デジタル (2022年2月9日). 2023年9月16日閲覧。
- ^ a b c 島根県教育庁文化財課. “島根県の文化財”. 2024年1月6日閲覧。
- ^ “文化遺産データベース”. bunka.nii.ac.jp. 2023年9月16日閲覧。
- ^ “可部屋集成館の概要 | たたらの文化遺産 可部屋集成館”. 2023年9月16日閲覧。
- ^ a b 可部屋集成館の常設展示に基づく。
- ^ a b “ドラマ「VIVANT」乃木家と奥出雲町の櫻井家 つながりと島根ロケの裏側(Sデジオリジナル記事) | 山陰中央新報デジタル”. 山陰中央新報デジタル (2023年8月15日). 2023年9月16日閲覧。
- ^ “奥出雲の櫻井家住宅、来場者が急増 ドラマ「VIVANT」効果 | 山陰中央新報デジタル”. 山陰中央新報デジタル (2023年9月14日). 2023年9月16日閲覧。
- ^ “「VIVANT」福澤克雄監督と「島根」の縁を結んだ人 奥出雲町の宇田川和義さん 20年来の付き合いで見た現場(Sデジオリジナル記事) | 山陰中央新報デジタル”. 山陰中央新報デジタル (2023年9月14日). 2023年9月16日閲覧。
- ^ “「VIVANT効果」乃木家のふるさと島根ロケ地、観光客が約100倍に 観光協会HPアクセスは約1000倍 | TBS NEWS DIG (1ページ)”. TBS NEWS DIG (2023年9月23日). 2023年9月23日閲覧。
関連項目
外部リンク
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