植民地時代以後とは? わかりやすく解説

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植民地時代以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 09:57 UTC 版)

ニューショアハム (ロードアイランド州)」の記事における「植民地時代以後」の解説

1524年後にブロック島呼ばれることになる島をジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノ視認し、ブルターニュ公爵夫人クロードから「クラウディア」と名付けたクロードフランス王妃、かつフランソワ1世の妻だった。しかし、当時地図幾つかはこの島を「ルイーザ」としており、フランス皇太后でありフランソワ1世の母であるルイーズ・ド・サヴォワにちなむとされている。ヴェラッツァーノの船の日誌では、その島が「丘で一杯で、樹木覆われ海岸沿い全てに火を見ており、人が多く住んでいる」と述べていた。1614年ブロック島オランダ探検家アドリアン・ブロック海図載せられブロック自分の名前を付けた1636年ジョン・エンデコット率いたボストンからの遠征隊が到着し、しまは当初マサチューセッツ湾植民地一部になった1658年マサチューセッツ湾植民地1636年遠征隊を率いたエンディコットを主とする集団に島を売却した1661年、エンデコットの集団はジョン・アルクックの率い16人の開拓者集団に島を売却した。アルクックはカウズ・コーブに近いセトラーズ・ロックでその記憶残されている。これら開拓者ある程度までロードアイランド植民地同盟者だったので、ブロック島ロードアイランド植民地議会によって1672年法人化され、島の政府が「ニューショアハム」という名前を採用した1685年オランダによるニューイングランド地図ははっきりとブロック島載せており、「アドリアン・ブロックス・アイラント」と表記している。 1699年スコットランド船長キャプテン・キッドブロック島訪問したが、その直後海賊行為有罪とされ、絞首刑にされた。ブロック島では船乗りジェイムズ・サンズの娘であるマーシー・レイモンドから補給受けたその時の話では、キッドレイノルズ夫人歓待報いるためにそのエプロン捧げ持つよう依頼し、それが一杯になるまで金と宝石投げ入れたとされている。レイノルズ夫人の夫ジョシュア死んだ後、夫人は北のコネチカット州ニューロンドン(後のモントビル)に家族と共に移転し多く土地買ったレイモンドはこうしてエプロン金持ちになったと言われている。 米英戦争1812年-1815年)のとき、ブロック島短期間トマス・ハーディ卿の指揮するイギリス海軍占領された。HMSディスパッチHMSテラーHMSニムロドHMSパクトラス、HMSラミリーズなどイギリス艦船停泊したハーディ食糧探して艦隊ブロック島率いて行きロングアイランド湾入り口戦略的な陣地設立したイギリス軍到着する以前に、ブロック島家畜食料のほとんど全てコネチカット州ストーニントンに移されていたのを知ってイギリス軍激怒した1814年8月9日ハーディとその艦隊ブロック島離れ、その食料家畜取り上げ目的もあってストーニントンに向かったハーディ8月10日夜明け前行った襲撃は、後にストーニントンの戦いよばれるようになった戦闘で、その艦隊損失出して撃退された。 1829年最初の北灯台建設されたが、波にさらわれたので1837年2代目建てられた。その2代目大洋消されたので、3代目1867年建設され、それが今も残っている。その数年後である1873年、島でもう一つ灯台である南東灯台建設始まったブロック島には自然の港が無かったので、1870年にオールドハーバーから防波堤建設された。もう一つの港であるニューハーバーが造られたのは1895年であり、島の北西側をグレートソルト池から大西洋まで結ぶ水路掘られた。 ブロック島唯一の公共図書館であるアイラの・フリー図書館1875年設立された。 ブロック島1938年のニューイングランド・ハリケーンで大きな被害受けた多く島の住人観光客高潮による洪水死んだ第二次世界大戦中ナラガンセット湾入り口を守るポイント・ジュディスのグリーン砦の重砲砲台から砲撃方向指示するために、幾つか大砲狙撃器が置かれた。狙撃器のための見張り陣地家屋似せて建設された。アメリカ政府は島を敵の攻撃から効果的に守ることが難しいと判断し、島からの避難提案した。しかし、島人留まることを選んだドイツ対す戦争が終わる直前に、島の北東7マイル (11 km) でポイント・ジュディスに戦い起こった1950年ブロック島空港開港し、現在でも一般用途空港として残っている。1972年ブロック島環境保護機関設立された。この機関その他の政府組織が島の土地40%以上を開発から守る責任がある。1974年、オールドハーバー歴史地区アメリカ合衆国国家歴史登録財指定地区となった

※この「植民地時代以後」の解説は、「ニューショアハム (ロードアイランド州)」の解説の一部です。
「植民地時代以後」を含む「ニューショアハム (ロードアイランド州)」の記事については、「ニューショアハム (ロードアイランド州)」の概要を参照ください。

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