植民地時代の詩とは? わかりやすく解説

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植民地時代の詩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/14 19:13 UTC 版)

アメリカ合衆国の詩」の記事における「植民地時代の詩」の解説

1490年代以降イギリスアメリカ接触する機会増えるに連れて探険家達はその「新世界」に関する報告書韻文含めることがあった。アン・ブラッドストリート1612年 - 1672年)が『最近アメリカ現われ十人目の詩神』(The Tenth Muse)をアメリカで書きイギリス出版され1650年までに、そのような分類アメリカの詩人と呼ぶことのできる者は少なくとも14居た。彼らは実際にアメリカ行ったことがあり、その程度違いはあるものの、アメリカについて詩や韻文書いた初期の例としては、探検家ジョン・スミス1580年 - 1631年)が1616年確かに好戦的な性格もとづいて証言的な詩」を書いており、また1625年のウィリアム・モレルによる「ノバ・アングリア」すなわち「ニューイングランド」は、アメリカ気候から一瞥した先住民女性まであらゆることの韻律によるカタログになっており、イギリスの支配のために「悲しく寂しい」女性痩せて行く姿としてこの国を特徴付ける弱く私的な奇想詩」あるいは「フィクション」形作られている。 続いて1627年5月には、イギリス西部のアウトドアマンで、弁護士文筆家かつ植民地冒険者であったメリーマウントのトマス・モートンが、毛皮交易プランテーションでのより大きな成功祝い発展させるために5月を建て、「詩」"Poem" と「歌」"Song" を貼り付けた1つイギリス人インディアン共に集いアメリカの成功のために交易すべきであるという濃厚に文学的な綱領であり、もう一つはやはりアメリカ的含蓄溢れた軽い「酒飲み歌」だった。これらは、モートンの他のアメリカと共に1637年の『ニューイングランド楽園』という本に纏められ出版された。このことでモートンアメリカで最初の英語による詩人位置付けられている。 イギリス領植民地最初に記録され詩人一人アン・ブラッドストリートであり、英語で書いた女性詩人として最も初期一人となっている。彼女が生きている間に出版した詩は宗教と政治主題にしている。また家庭家族生活や夫に対す愛情優しく喚起するものも書き、その多く20世紀まで出版されることはなかった。エドワード・テイラー(1642年頃 - 1729年)は、初期植民地時代には通常に見ることのできた高度に鍛えられ形而上詩形態ピューリタン美徳解説する詩を書いたこうしたピューリタン倫理という限定され主題が、17世紀と18世紀初期植民地書かれた詩の大半基調となっていた。ニューイングランド出版された最も初期の「非宗教的な」詩は、サミュエル・ダンフォース(1626年 - 1674年)の1647年から1649年掛けて年鑑にあるものであり、ケンブリッジ出版された。これには「判じ物詩」と共にいも虫地震およびハリケーンに関する詩も含まれていた。ダンフォースは詩人であると同時にピューリタン牧師でもあり、精神的なメッセージから遠ざかるものではなかった。 植民地時代目立ったアメリカ叙情詩書き手としてもう一人奴隷フィリス・ホイートリー1753年 - 1784年)がいる。その詩集様々な主題宗教道徳についての詩』(Poems on Various Subjects, Religious and Moral)は1773年出版された。彼女は少なくとも植民地では当時の最も良く知られ詩人一人であり、その詩は当時ニューイングランド文化典型的なものであ、宗教的あるいは古典的な観念思いを巡らせるのである18世紀にはその詩に合う主題としてアメリカそのもの注目されるようになった。この傾向はフィリップ・モーリン・フレノー(1752年 - 1832年)の作品で最も顕著である。フレノーはその著作の中でインディアン対す異常なくらい同情的な姿勢でも著名であり、時にはイギリス系アメリカ文化文明に対して懐疑的な考察もある。しかし、基本的に植民地書かれたものから予想されるように、この植民地後期の詩人概して形式構文では幾らか古い様式を採っており、イギリスウィリアム・ブレイクロバート・バーンズ時代アレキサンダー・ポープトマス・グレイの手段や方法採用していた。 全体的に見るとアメリカ植民地における詩の発展植民地自体発展映していた。初期の詩はまず第一に開拓地生んだピューリタン概念一体性保存する必要性支配されていた。入植者自信をつけていくと、彼らが書く詩は次第独立へ意思反映するようになったこうした主題変化控え目に言っても文体には反映されず、文体保守的な傾向を崩さなかった。これは、アメリカの詩人が英語詩発展中心であるロンドンから物理的に離れて創作行っていた結果であると見ることもできる

※この「植民地時代の詩」の解説は、「アメリカ合衆国の詩」の解説の一部です。
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