植民地時代以前の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 23:36 UTC 版)
「ヴィクトリアの滝」の記事における「植民地時代以前の歴史」の解説
滝の周囲では、300万年前のホモ・ハビリスの石器、5万年前(中石器時代)の道具、そして1万2000年前(新石器時代)の武器、装飾品、掘削用具が出土している。 やがて鉄器を使い狩猟採集生活をするコイサン語族が現れ、それはさらにバントゥー系民族に取って代わられた。バントゥー系民族はこの滝を Shungu na mutitima と呼んでいた。のちにこの地に到達したマタベレ族 (Matabele) は aManz' aThunqayo と呼んだ。そしてバツワナ人 (Batswana) とマコロロ人 (Makololo) は「雷鳴の轟く水煙」の意味で Mosi-oa-Tunya と呼んだ。 デイヴィッド・リヴィングストンが1852年から1856年にかけてザンベジ川の上流から河口にかけて探検し、1855年11月16日にヨーロッパ人として初めてこの滝を目にするに至った。そしてカヌーで川を横切り、現在 Livingstone Island と呼ばれている島にも上陸した。 ただし、ブール人植民者 (Voortrekker) も知っていた可能性がある。実際、リヴィングストンも上流にいる時に既に現地人から滝の存在を聞かされていた。ヨーロッパの人々は、当初リヴィングストンの報告に疑念を抱いたという。山も谷も無い高原のような場所に巨大な滝があることなど到底信じられなかったからである。 彼はすでに上流にあるンゴニェ滝 (Ngonye Falls) に心打たれていたが、ヴィクトリアの滝を見て非常に感銘し、イギリスのヴィクトリア女王に因んで「ヴィクトリアの滝」と英名を付けた。彼は滝について以下のように記している。 「イギリスにあるいかなる物からも、この美しさを想像することはできません。ヨーロッパの人々がかつて目にしたことのないものです。でも、飛んでいる天使達の目にはこのすばらしい光景が見えていたに違いありません。」 1860年、リヴィングストンは科学者であり探検家でもあるジョン・カーク (John Kirk) とともに再び滝を訪れ、詳細な調査を行った。この他にこの時代に滝を訪れたヨーロッパ人としては、ポルトガル人探検家 Serpa Pinto、1880年に滝についての本を出版したチェコ人探検家 Emil Holub、そして滝の絵画を描いたイギリス人画家 Thomas Baines などがいる。それでも、1905年に鉄道が開通するまではヨーロッパ人による訪問はごくわずかであった。
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