松竹楽劇部から映画界へとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 松竹楽劇部から映画界への意味・解説 

松竹楽劇部から映画界へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 01:48 UTC 版)

不忍鏡子」の記事における「松竹楽劇部から映画界へ」の解説

1919年大正8年10月29日北海道夕張郡夕張町現在の夕張市)に生まれる。父の進藤三郎鉄道省技師であり、小学校時代だけでも、道内釧路市樺太庁豊原支庁豊栄郡落合町現在のロシア連邦サハリン州ドリンスク)、東京府豊多摩郡大久保町現在の東京都新宿区)と転校繰り返した1932年昭和7年3月、同町の大久保尋常高等小学校現在の新宿区立大久保小学校)を卒業し同年4月当時角筈現在の新宿区西新宿1丁目6番)にあった精華高等女学校現在の東海大学付属市原望洋高等学校)に進学する同年9月、満13歳誕生日目前にして同校中途退学松竹楽劇部(のちの松竹歌劇団)に入団、第12期生になる。このときの同期44名に対し芸名公募され上野恩賜公園不忍池にちなみ不忍 鏡子名づけられた。日暮里子、井草鈴子とともに東京市内の地名にちなん命名を受け、同年10月26日開幕の『グランドレビュー大東京』で揃ってデビューした。不忍の名は「不忍池は鏡の如し」の意だという。デビュー翌年1933年昭和8年6月水の江瀧子闘争委員長とする労働争議通称桃色争議」が起きている。 1936年昭和11年6月日活多摩川撮影所現在の角川大映撮影所)に入社、このとき満16歳であった同年10月24日公開された『からくり歌劇』(監督大谷俊夫)に「ホステス」役で端役出演映画界デビューする。同撮影所美術部には実兄進藤誠吾(1913年 - 2003年)が在籍しており、『召集令』(監督渡辺邦男1935年)等の映画装置設計クレジットされている。その妹であり、不忍にとっては実姉進藤京子劇作家阿木翁助1912年 - 2002年)と結婚したのは、不忍の日活入社の2か月後、同年8月である。阿木進藤誠吾の友人であった進藤家長男当時満洲国現在の中国東北部)で経済的成功収め家族引き取るという段になり、誠吾が妹たち内地置いておくために不忍を自分会社入れ京子阿木に嫁がせた、という経緯があった。 1938年昭和13年6月1日公開された『茶房花々』(監督春原政久)では比較大きな役ではあったが、それ以外女給役、女中役が多く同年には松竹楽劇時代同期生だった日暮里子が入ってきて、同年8月4日公開された『楽天公子』では早速杉狂児相手役務めており、同年11月3日公開された『東京千一夜』(監督内田吐夢でも、まったくの脇ではなく「おかる」役を演じた不忍であったが、「サリー」役を演じた日暮に次ぐ位置であった。ただし同作内田吐夢出逢ったことは、不忍にとって、のちのち大きな経験になっている1940年昭和15年2月1日公開された『沃土萬里』(監督倉田文人)では、風見章子1921年 - )の友人役として、満州集団移住した開拓農民いわゆる大陸の花嫁」を演じた同年7月25日公開された『三女性』(監督清瀬英次郎)に出演したのを最後に、満20歳日活退社した1941年昭和16年3月映画監督藤田潤一結婚した藤田との縁は、東宝映画東京撮影所現在の東宝スタジオ)の文芸課に義兄阿木翁助がおり、同社京都撮影所藤田在籍しており、藤田当時東京撮影所出張して仕事をしていたことによる挙式東京赤坂氷川神社で、阿木の上司で文芸課長竹井夫妻媒酌人として行われた阿木書いた原作藤田監督した大いなる感情』は、同年5月8日公開された。同年12月8日日本米国宣戦布告第二次世界大戦突入した

※この「松竹楽劇部から映画界へ」の解説は、「不忍鏡子」の解説の一部です。
「松竹楽劇部から映画界へ」を含む「不忍鏡子」の記事については、「不忍鏡子」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「松竹楽劇部から映画界へ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松竹楽劇部から映画界へ」の関連用語

松竹楽劇部から映画界へのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松竹楽劇部から映画界へのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの不忍鏡子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS