松竹直営とは? わかりやすく解説

松竹直営

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 09:56 UTC 版)

松竹座」の記事における「松竹直営」の解説

浅草松竹座 - 浅草公園六区所在し劇場国際劇場出来るまではSKDホームグラウンドであった映画の他に実演演劇興行など行ったが、1963年5月には早くも廃座となり、同年12月には浅草松竹ボーリング改装。のちボウリングブームの下火により再改装して丸石家具センター賃貸していたが、1983年取り壊され敷地テーオーシー権利取得して浅草ROX立地新宿松竹座 - 四谷大木戸(現:新宿一丁目)と角筈(現:新宿三丁目)の二箇所それぞれ存在した新歌舞伎座 (東京)の項を参照名古屋松竹座 - 末広町(栄)と名駅の2か所にそれぞれ存在した昭和初期末広町末広座を買収して名古屋松竹座改称し松竹座チェーン組み入れる洋画封切りOSKSKDレビュー興行された。戦後廃座。敷地ヘラルドコーポレーション買収して中日シネラマ会館建てたが、同館はヘラルドシネプラザと名称を変更したのち2004年閉館し跡地マンション立地一方、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}名古屋駅前の毎日名古屋会館地下一階映画館名古屋大映跡)を松竹賃借して[要出典]、1971年12月名古屋松竹座開館定員834人)。松竹邦画系の封切館として運営していたが、建て替えのため2002年1月閉館。現在はミッドランドスクエア立地京都松竹座 - 京都新京極六角下ルに存在した定員885人。元々は芝居小屋明治座松竹座チェーン組み入れた後は洋画興行を主としたが、途中松竹邦画系の封切館になった時期もある。終盤期には主に丸の内ルーブル系の作品上映していたが、2001年11月30日をもって閉館跡地MOVIX京都新館2005年5月開館した大阪松竹座 - 道頓堀劇場開館当初洋画OSKレビュー興行長らく松竹洋画封切館だったが、1997年建て替えた後は松竹大阪唯一の演劇拠点として各種興行行っている。大阪松竹座の項を参照神戸松竹座 - 神戸新開地存在した劇場映画館演芸場当初1927年湊川公園寄り神戸松竹劇場松竹座チェーン組み入れるべく改称したもの。1930年市電通り寄り新築開場以降洋画興行行っていたが、戦後東映封切館経て1959年1月1日より松竹演芸(現:松竹芸能)と千土地興行(のちの日本ドリーム観光)の配給による演芸興行転換神戸唯一の演芸場として盛業していたが、新開地自体地盤沈下に伴い1976年9月30日をもって閉館神戸松竹座の項を参照札幌松竹座 - 札幌市中央区南4条西3丁目(すすきの地区)に存在した1897年大黒座として開業し1925年松竹座改称1929年改築し1,300席を有する洋画ロードショー館として親しまれたが1970年閉館敷地第三者北海道振興)に譲渡され飲食店等が入る雑居ビル立地福岡松竹座 - 福岡市博多区中洲2丁目存在した洋画封切館転換して福岡SY松竹座改称した後、1971年ボウリング場転業のため、閉館敷地第三者譲渡され飲食店等が入る雑居ビル立地

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