松竹直営
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浅草松竹座 - 浅草公園六区に所在した劇場。国際劇場が出来るまではSKDのホームグラウンドであった。映画の他に実演や演劇興行なども行ったが、1963年5月には早くも廃座となり、同年12月には浅草松竹ボーリングに改装。のちボウリングブームの下火により再改装して丸石家具センターに賃貸していたが、1983年に取り壊され、敷地はテーオーシーが権利を取得して浅草ROXが立地。 新宿松竹座 - 四谷大木戸(現:新宿一丁目)と角筈(現:新宿三丁目)の二箇所にそれぞれ存在した。新歌舞伎座 (東京)の項を参照。 名古屋松竹座 - 末広町(栄)と名駅の2か所にそれぞれ存在した。昭和初期に末広町の末広座を買収して名古屋松竹座と改称し、松竹座チェーンに組み入れる。洋画封切りとOSK・SKDのレビューが興行された。戦後廃座。敷地はヘラルドコーポレーションが買収して中日シネラマ会館を建てたが、同館はヘラルドシネプラザと名称を変更したのち2004年に閉館し、跡地にマンションが立地。一方、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}名古屋駅前の毎日名古屋会館地下一階の映画館(名古屋大映跡)を松竹が賃借して[要出典]、1971年12月に名古屋松竹座を開館(定員834人)。松竹邦画系の封切館として運営していたが、建て替えのため2002年1月に閉館。現在はミッドランドスクエアが立地。 京都松竹座 - 京都新京極六角下ルに存在した。定員885人。元々は芝居小屋の明治座。松竹座チェーンに組み入れた後は洋画興行を主としたが、途中松竹邦画系の封切館になった時期もある。終盤期には主に丸の内ルーブル系の作品を上映していたが、2001年11月30日をもって閉館。跡地はMOVIX京都新館が2005年5月に開館した。 大阪松竹座 - 道頓堀の劇場。開館当初は洋画とOSKのレビューを興行。長らく松竹洋画系封切館だったが、1997年に建て替えた後は松竹の大阪唯一の演劇拠点として各種興行を行っている。大阪松竹座の項を参照。 神戸松竹座 - 神戸新開地に存在した劇場。映画館。演芸場。当初は1927年に湊川公園寄りの神戸松竹劇場を松竹座チェーンに組み入れるべく改称したもの。1930年市電通り寄りに新築開場。以降も洋画興行を行っていたが、戦後東映封切館を経て、1959年1月1日より松竹新演芸(現:松竹芸能)と千土地興行(のちの日本ドリーム観光)の配給による演芸興行に転換。神戸唯一の演芸場として盛業していたが、新開地自体の地盤沈下に伴い1976年9月30日をもって閉館。神戸松竹座の項を参照。 札幌松竹座 - 札幌市中央区南4条西3丁目(すすきの地区)に存在した。1897年に大黒座として開業し、1925年に松竹座と改称。1929年に改築し1,300席を有する洋画ロードショー館として親しまれたが1970年閉館。敷地は第三者(北海道振興)に譲渡され、飲食店等が入る雑居ビルが立地。 福岡松竹座 - 福岡市博多区中洲2丁目に存在した。洋画封切館に転換して福岡SY松竹座と改称した後、1971年ボウリング場に転業のため、閉館。敷地は第三者に譲渡され、飲食店等が入る雑居ビルが立地。
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