戦後・関西映興から松竹直営館へとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 戦後・関西映興から松竹直営館への意味・解説 

戦後・関西映興から松竹直営館へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 15:14 UTC 版)

岸和田電気館」の記事における「戦後・関西映興から松竹直営館へ」の解説

戦後いち早く復興しており、1950年昭和25年)に発行された『映画年鑑 1950』には、同市内に、東宝大映二番館である春陽館(春木泉町1560番地経営夜明藤一)、東宝三番館と洋画上映した山村劇場北町74番地経営河合栄)、大映三番館である岸和田館堺町1919番地経営山口藤次郎)、セントラル映画社系の岸和田セントラル(のちの岸和田東宝セントラル劇場宮本町125番地経営山口藤次郎)、東宝三番館でありヨーロッパ映画上映した岸和田東宝劇場岸和田東宝映画劇場本町219番地経営・映宝興行および中平邦顕)、そして同館の6館が記載されている。同書によれば当時の同館の経営者として岩崎治良(1900年 - 没年不詳)のみの名が記されており、観客定員数は400名、興行系統松竹二番館であった岩崎治良は、松竹キネマ出身で、戦時中社団法人映画配給社にあって関西支社次長中部支社長営業畑の重職歴任し戦後は、1947年昭和22年)に梅田シネマ設立して社長に就任したが、2年後オーエス映画劇場現在のオーエス)に買収されたため、関西映興を新たに設立した人物であった。同館は岩崎が代表を務め関西映興が経営した。したがって同館は泉谷虎吉の手離れており、堺の電気館も本山敬二郎経営移り、両館の間に資本関係なくなっていたが、同館は「第二電気館」と名乗り続けた1950年代前半に、木造二階建から、鉄筋コンクリート二階建建物建て替えている。 1957年昭和32年4月24日には、鍛治屋町繁華街岸和田大映(のちに移転して岸和田大劇経営同和興行)が開館し大映二番館として興行開始している。これによって、山直劇場岡山町127番地経営西川輝男)、吉野倶楽部下野町517番地経営山路美晴)、同年岸和田東映劇場改称した山村劇場含め、同市内映画館合計9館の時代迎える。1959年昭和34年)には、同市内岸和田東宝映画劇場経営変わって洋画系の映画館になり、岸和田東洋劇場改称しているが、このとき、同館が東宝系の興行引き継ぎ松竹系並行して上映した1961年昭和36年)には、堺電気館閉館したが、同館の名称は「第二」を冠したままであった岸和田市内では、堺電気館と同じ1961年には山直劇場閉館し1962年昭和37年)には春陽館(春木泉町1560番地経営向井克巳)、吉野倶楽部下野町517番地経営楠原エイ)、岸和田東宝映画劇場経営照屋潔)の4館が閉館、同市内映画館はわずか5館に減った1966年昭和41年)には岸和田セントラル劇場岸和田東宝セントラル劇場改称東宝封切館となったため、同館は東宝系から離れ松竹および洋画の上映館となった1967年昭和42年1月には従来同館を経営していた関西映興が松竹関西興行1958年設立 - 2002年解散、代表・城戸四郎)と契約を結び、松竹直営館になるとともに岸和田電気館改称した同名称は、開館以来、他地区の「電気館」と区別するためにしばしば使用され通称であった同年松竹は、3月25日公開『宇宙大怪獣ギララ』監督二本松嘉瑞)、4月15日公開の『若社長奮戦』(監督梅津明治郎)、6月5日公開の『智恵子抄』(監督中村登)、8月5日公開の『喜劇一発勝負』(監督山田洋次)、9月2日公開の『無理心中日本の夏』(監督大島渚、製作創造社)等を製作・配給している。『松竹九十年史』および『松竹十年史』には、このとき松竹関西興行傘下となった映画館として岸和田松竹」が筆頭挙げられているが、該当する映画館同時代の資料には同館以外には存在しない1974年昭和49年)には閉館し、約60年もの歴史閉じた。翌1975年昭和50年)には岸和田東宝セントラル劇場閉館しており、同市内映画館は、薩準次郎経営する岸和田東映劇場北町12番12号)のほか、同和商事(代表・浅原隆三)が経営する岸和田大劇大北町52番地1号)、岸和田日活劇場(のちの岸和田日劇北町8番地5号)および岸和田スカラ座北町8番地5号)の合計4館だけが残ったGoogle ストリートビューによれば2009年平成21年7月現在の館跡地は駐車場である。

※この「戦後・関西映興から松竹直営館へ」の解説は、「岸和田電気館」の解説の一部です。
「戦後・関西映興から松竹直営館へ」を含む「岸和田電気館」の記事については、「岸和田電気館」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「戦後・関西映興から松竹直営館へ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戦後・関西映興から松竹直営館へ」の関連用語

戦後・関西映興から松竹直営館へのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戦後・関西映興から松竹直営館へのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの岸和田電気館 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS