戦後論理学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:46 UTC 版)
第二次世界大戦後、数理論理学は4つの互いに関連するが離れあった領域、つまりモデル理論、証明論、計算可能性理論、そして集合論に分かれた。 集合論においては、強制法がモデルを構築して独立した結果を得るための方法を提供して革命が起きた。1962年にポール・コーエンがこの方法を導入して連続体仮説と選択公理がツェルメロ-フレンケル集合論から独立であることを証明した。彼の技巧は導入してすぐに簡素化および拡張されたものであり、これ以降数理論理学のあらゆる分野で他の様々な問題に導入されてきた。 計算可能性理論の起源は1930年代-1940年代のチューリング、チャーチ、クリーネ、そしてポストにある。計算可能性理論は抽象的計算可能性の研究へと発展し、再帰理論として知られているものになった。優先度法は1950年代にAlbert MuchnikとRichard Friedbergにそれぞれ独立に発見され、チューリング次数と関連する構造の理解に大きな進展をもたらした。高次計算可能性理論の研究により計算可能性理論と集合論との結びつきが証明された。構成的解析学および計算可能性解析学といった分野は古典数学の定理の有効な内容を研究するために発展した; これらは代わる代わる逆数学の計画を引き起こした。計算可能性理論から別れた分野である計算複雑性理論もまた記述計算量の研究の結果として論理学的な術語を使用するという特徴を持つ。 モデル理論は数理論理学の手法を利用して特定の数学理論のモデルを研究する分野である。アルフレト・タルスキはこの分野の先駆的な著作を多く発表しており、この分野の名前も彼が発表した一連の著作の題名『モデル理論への貢献』に因んでいる。1960年代に、アブラハム・ロビンソンはモデル理論の技法を用いて無限小、つまり最初にライプニッツが提議した問題に基づいた計算・解析を発展させた。 証明論では、古典数学と直観的数学との関係がゲオルク・クライゼルの発明した実現可能性の手法やゲーデルの弁証法解釈といった道具を用いて解明される。この研究によってproof miningという同時代の領域が励起された。カリー=ハワード同型対応が、自然演繹と計算機科学で用いられる型付きラムダ計算論理との一致を含む、論理と計算との深い類似として起こった。結果として、この形式的体系のクラスが論理学的な面と計算機的な面との両方を説明するようになった; この研究領域は現代型理論として知られるようになった。順序解析や、パリス・ハリントンの定理のような算術における独立した結果の研究によっても進展が起きた。 この時期は、特に1950年代とそれ以降は、数理論理学の概念が哲学的思考に影響を与え始めた時期でもある。例えば、時制論理は時間で修飾された文を表現し、推理するために形式化された体系である。哲学者アーサー・プライアーは1960年代においてこの分野の発展に大きな役割を果たした。様相論理は形式論理学の射程を拡張してモダリティの要素(例えば、論理的可能性や必要性)を包含するようにした。ソール・クリプキの思想、特に可能世界に関する思想と今日クリプキ意味論と呼ばれている形式的体系は分析哲学に重大な影響を及ぼした。彼の最もよく知られ最も影響力を持った著作は『名指しと必然性』(1980年)である。義務論理は様相論理と緊密に関係している: 義務論理は義務、許可、その他関連する概念の論理的特徴を把握しようとする。アレクシウス・マイノングの弟子エルンスト・マリーはホワイトヘッドとラッセルの命題計算の統語論に基づいて『義務の基本法則』(独:Grundgesetze des Sollens)で初めて形式的な義務体系を提議した。第二次世界大戦後に創始された他の論理体系としてイランの数学者ロトフィ・ザデーが1965年に始めたファジィ論理がある。
※この「戦後論理学」の解説は、「論理学の歴史」の解説の一部です。
「戦後論理学」を含む「論理学の歴史」の記事については、「論理学の歴史」の概要を参照ください。
- 戦後論理学のページへのリンク