戦後配備型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/08 22:59 UTC 版)
「フェアリー ファイアフライ」の記事における「戦後配備型」の解説
その後、エンジンをグリフォン61エンジンに換装し、機首にラジエーターを取り付けた戦闘機仕様のF.Mk III型が開発され、プロトタイプが1943年4月18日に飛行したが生産されなかった(一説には機首ラジエーターに問題があったともいう)。それに続き、エンジンにグリフォンエンジンの70番台を使用し(このエンジンは翼の付け根にラジエーターが付く形であった)、翼の形状を変え、レドームを右翼に、追加燃料タンクを左翼に配置したタイプが提案された。グリフォン72エンジン(2,330hp)に換装したMk IIIと、グリフォン74エンジン(2,245hp)に換装した3機のMk I型が44年から45年にわたってテストされたが、結局後者のグリフォン74エンジンを搭載し、提案された改良を施したF.Mk IV型が生産されることになった。1945年5月25日から生産が始まったが、結局終戦までには配備されず、配備が始まったのは戦後である。また、Mk IV型には戦闘機型のF.Mk IV型のほかに、左翼の燃料タンクをASHレーダーに換装したFR.Mk IV型が存在する。この型はあわせて160機生産された。 Mk 5型(この型からは初飛行が戦後のため、通例としてアラビア数字表記になる)は、基本はMk IV型と同様の型であるが、内部的な改良が行われていたとされる。1947年12月に初飛行したこの型は派生型を含めて全352機製造され、FR.Mk 5型、NF.Mk 5型といった派生型が存在する。もうひとつ派生型として、AS.Mk 5型が存在する。これは対潜装備型(ASはanti submarineの略)であるが、装備はアメリカ製である。なお、イギリス製装備を装備した型はAS.Mk 6型と呼ばれ、こちらは1949年3月に初飛行し133機が生産されたとされる。 1951年10月にはグリフォン59エンジンに換装したAS.Mk7が初飛行した。この機体の特徴として機首ラジエーターがあり、これはMkIII型の構造が復活したことになる。機首ラジエーターはMkIIIのときに問題があったとされ、MkIVでは翼の付け根に移動されていた。ただし、AS型として生産されたのはほんのわずかであり、総生産数151機のほとんどはT.Mk 7型として生産された。Tはtrainingの頭文字であり、練習機タイプである。
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