戦後関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 06:38 UTC 版)
「日本とマダガスカルの関係」の記事における「戦後関係」の解説
第二次世界大戦は日本の敗戦で終わり、サンフランシスコ平和条約によって日本は主権を回復した。一方のマダガスカルは戦後、1947年に反フランス植民地支配抵抗運動などを経験しながらも1958年にフランス共同体の自治国家として平和裏に独立し、1959年の憲法発行を経て1960年には完全な独立を果たした。日本は、1960年7月にマダガスカルを国家承認。国交樹立後すぐの1965年には、「マダガスカル独立の父」とも呼ばれる初代マダガスカル大統領フィリベール・ツィラナナが国賓として日本を訪問している。1968年2月には首都アンタナナリボに在マダガスカル日本国大使館を設置した。マダガスカル側は一年遅れた1969年の3月に、東京に在日マダガスカル大使館を開設している。 その後、1976年には在マダガスカル日本大使館が現地にマダガスカルの戦いの地上戦で亡くなった秋枝三郎中佐と竹本正己特務少尉の慰霊碑を建立し、1997年には有志が上記二名と海戦で命を落とした岩瀬勝輔大尉、高田高三兵曹長の4名の日本軍人の慰霊碑をアンツィラナナ(旧名ディエゴ・スアレス)に建立している。
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